見出し画像

へえこんな偶然もあるんだの、地理的にえらく離れた版

人生ふりかえると、かなりの低い確率での偶然に遭遇したことが、過去に何回かあった。別にその偶然があったからなにかが開けたわけでもなく、ただ偶然つながっていたという話にすぎなかったが。

昔、上海に住んでいる時、中国語の家庭教師をやとっていて、週に3回くらい来てもらっていた。2001年のことだったが、知り合いにWebの掲示板かなんかで宣伝だしてもらったら、何十人も応募があって、田舎出身で上海で法学部で勉強中の、えらく賢い女性にお願いした。いくらか忘れたが、語学学校よりも安い額でやってもらえた。たしか1時間で1000円とか。当時は上海では30円くらいで地下鉄に乗れたし、タクシーは初乗り150円くらい、好きな葱油ぱん麺が1杯70円くらいだったか。

こちらは中年、記憶力も減退しつつあったが、えらく賢い女性は、よく、僕が「あ、これは新しい漢字だ」とメモると、「それは先週の水曜日のこの文章にでていてやった」とか写真のような記憶力。彼女はその後、奨学金を得てアメリカに留学して、米中の弁護士資格をとってばりばり働いている。数年前久しぶりに上海であったら、仕事はばりばり好調だが、離婚を経験していて、休みになると山寺で瞑想しているとか言っていた。

彼女の授業では、こちらの語学レベルには構わず、ごく簡単な短編小説を読んだりしておもしろかった。三毛(さんまお)という台湾の作家の、サハラ砂漠でのスペイン人の旦那との日々というユーモラスなエッセイを1冊全部読んで、それがなんだか面白く、記憶に残っている。サハラで、台湾人とスペイン人がスペイン語で話しているのが、中国語で描かれていたりする。これ日本語とかに訳されてないのだろうか?

で、偶然の話のほうだが、それは2001年の夏にアメリカのNYでの知人の結婚式に呼ばれて(なんと911が起こった1ヶ月前だった)、ついでに夏休みだと、むかしの職場で一緒だった後輩夫婦が住んでいたバルバドスという島に行った。バルバドスはNYから確か5時間くらいのフライトだったか。

後輩のIくんはかなりユニークなやつで、その時は奥さんのMさんの国連とかの仕事でバルバドスに数年居たので、たしか30代なのにバルバドスの大学に籍をおいたりしながら、主夫していた。むかしから、行動力があって、それ故に破茶滅茶なところもあるが、海外で現地人に愛されながら生きていける日本人だった。

たまたま大型ハリケーンがくるというので、滞在を伸ばして、停電のなかでロウソクで4人でトランプしたりという楽しいハプニングもあったが、それはさておき、I君夫妻が懇意にしているという、ビーチサイドの中華料理屋につれてってもらった。

20歳代の若夫婦がやっていて、英語を話したので聞くと、中国から移民してきたという。笑ってしまったのは、島には中国人が数十人いるんだが、島にある中国大使館だか領事館が中国野菜を館内で育てていて、それをゆずってもらっているという。それで、かなり美味い中華料理を、なんとバルバドスのビーチで、ヤシの木の下でエメラルド・グリーンの海を眺めながら食べることができた。お世辞抜きに美味かった。短い滞在中に何度か行った。

そんな話を、上海にもどってから、夏の旅の思い出について、中国語の先生と中国語で話そうとしていた時、先生が言う。

「バルバドスには小学校の同級生が移民して住んでいる。たしか中華料理屋やっている」

え、カリブ海のバルバドスだよ?中国語国名に自信がなかったので、ばーばーどーすー?ぱーぱだーしー?とかいいながら、地図を指すと、たしかにバルバドスだという。たしか、中華料理屋はPeterと名乗っていたので、Peterといっていたがというと、幼馴染の中国語の名前を言う。当然違う。

たぶん、バルバドスで中国人がやっている中華料理はそんなにないはず。さっそく、バルバドスのI君にメールをした。安徽省のなんとか市出身のSさんという中国人が中国語の先生なんだが、幼馴染がバルバドスで中華料理屋やっているはずで、それってPeterかも?聞いてみてくれと。

なんと、それでわかったのは、カリブの小国の中華料理屋の店主と、僕が上海でWebで募って中国語を教わっていた先生は、安徽省での幼馴染であった、という偶然。中国13億人?のうち、僕が知り得た人は何人いるかわからないが、よりにもよってカリブ海でその知人と会ってしまうとは。

それだけの話。それで何がどうなったということもなく。

みんな、へえ、偶然だねえと驚いて、それでこの話題はだんだん忘れられていった。ちょうど上海にもどったら911勃発で、世界が壊れてしまうんじゃないかという時で、そんな小さな偶然の話は吹き飛んでしまった。

中国人は、たしか、縁分(いぇんふぇん)とか言って、なにかと縁を大事にすると思っていたが、文化革命を経た現代中国ではそんな伝統も薄らいだのか、こんな10数億分の2くらいのとても確率の低い偶然の遭遇も、特に何か意味を持っているものではなかったようだ。人生、ときに、意味がわからん偶然もある、という話か。

(タイトル写真はNoteクリエーターの写真からカリブででてきたものを拝借。海がきれいだ)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?