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「オファーを蹴ったことを後々まで語る奴は信用するな」

座右の銘というか、人生の道しるべだなと思って脳みそに刻んでいる格言みたいのはたぶん20個くらいあるが、意外に半分以上が有名人のでなくて個人的に知り合いとなった身近な人のだったりする。

学生時代に就職が決まって報告にいった大学の恩師に初めて連れてってもらった寿司やのカウンターで聞いた話だったり。バックパッカー宿で知り合ったドイツ人がぽろりと言った言葉だったり。嫌いな上司が、会社を辞めるといったら連れてってくれた飲み屋でぼそりと語ってくれた言葉だったり。「道しるべ」なので、けっこう実用的なものもあったりする。

こてこてに実用的なのは、株の売買の話で、なにかスキャンダルな事件があって、ある会社の株価が暴落したとき、「こういう時はちょっと間をおいて、売らないといけない人達が売り切ってから、買いにいくんだ」とか。

学者のある先生は、「30代とか若い頃にとてつもなく野心的な試みをやっていいんだ。その分野の網羅的な大全をまとめるとか。決して老成してからとか思うな」とか。

案外、年に数回、脳が参照するのがこれ。「オファーを蹴ったことを後々まで語る奴は信用するな」。補足すると、どこどこの大学受かったけれどこっちにした、とか、ここから内定貰ったけれどそれを蹴ってこれをやったとかを、後々の「自らの評価の補強」として語る奴は信用するなという教え。

この教えを授けてくれた人からの解説はなかったが、たしか、ある会社にいたとき人を雇うことになって面接していて、これ受かったけどそこには行かずにこちらにしたとか、留学して教授に引き続き残らないかと言われたが断ったとか、いろいろ言う人達がいて、その上司は「ああいうこと言う奴って、信用できないよね」と。

その蹴った先が、すごい試験だったり学校だったり、超大企業だったというのがよくあるパターン。それらを蹴ってリスクをとってベンチャーにきたとかいうのがひとつのストーリーを為したりするので、時には良いパンチラインになる。外交官試験通ったがそれを蹴ってこの会社にはいったとか、昨今のITだったらグーグルから内定もらっていたがそれを蹴って起業したとか。

信用できないと断じてしまうのはかわいそうな気もするが、たしかに首をかしげるべき要素はある。(1)そもそもオファーとか内定とか本人の発言以外にはなかなか確認できないことであること、(2)それを自分はそこで評価を受けたという材料に使ってしまっていること、(3)オファーしてくれたところに対する配慮ゼロであること。

自分としてはこの格言の運用指針としては、蹴った先を匿名にしてある大手商社から内定いただいていたんですがこういう理由でこちらの業界にはいった、とかはOK。実際にそのオファーを受けて数ヶ月とか1年とか働いて、やはりこちらをやりたいからと転職したというのもOK。一番NGなのが、ヘッドハンターからA社に年俸xx円で引き抜きの話があったけれど断った、というようなやつ。

まあ、能力についてはお墨付きをもらったんだという資格試験的な使われ方をされてしまうのはなくならないんだろうけれど、そこを第一志望で真剣に目指していた人にも、その企業にも、実害を発生させたということで、けしからん。理由があってオファーを最終的に蹴るのはありだとしても、それを自慢気に個別名称で後々まで語る奴は、やはり信用に値しないですな。


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