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映画「となりのテロリスト」 独立運動から美食観光地のバスク

今年スペイン旅行して、北部バスク地方で感じた違和感・疑問があった。

バスクについては90年頃にカスティージャのサラマンカという大学町に留学していたときに、新聞やテレビで、その頃にマドリッドなどで要人や政府機関を狙った車爆弾テロ事件が起こしていたETAというバスク独立運動グループの印象が強かった。ちょっと前の日本赤軍のようなやつらかなと。毎年のように、爆弾テロ、要人誘拐とか事件を起こしていたと記憶している。

東京で最初にスペイン語を習った先生がバスク人で、授業の外で食事したりしたときに、バスクというのが他のヨーロッパ言語と系統がことなる特殊な出自の言語ということをその詩人でもある先生から知った。厳格でまじめでちょっと怖かったが、オックスフォード出の欧州の歴史の深い教養を絵にしたような、今思うといい先生だった。

なんとなく、フランシスコ・ザビエルとかチェ・ゲバラとかもバスク人なんだということも知っていて、バスクって海外にもでて活躍してるんだなとも思っていた。

その最初のスペイン語の先生だが、まだ初級の僕らに、¿Qué es la definición de amor? 愛の定義は?と授業で聞いてくる。僕らは限られた語彙のなかから、「ある人がある人を好きになること」とかたどたどしくスペイン語で答えると、好きになるとどういう気持ちになる?嬉しい?悲しい?夜寝れなくなる?愛とは人と人の間だけなのか?物や動物への愛は?とか片方向の愛はなんというか知ってるか?とか、そこから派生させていろいろ質問を続けていく。その過程でいろいろ単語を覚えた。不思議なメソッド?の語学教育だった。初年度に、エルシドとかガルシア・ロルカとかの詩を読まされ、わけが分からなかったが、その詩が持つ音の響きやリズムが耳に心地く、日本語同様にはっきりしたスペイン語の母音の響きが体に染みるように身についた。

僕らは中南米の地域研究をするコースで、当時はどちらかというとスペイン文化よりもそれぞれ考古学でアンデス文化とか政治経済でチリのクーデタとかハイパーインフレとかそんなほうに関心があったのだが、教授が中南米のバックボーンにはスペインの文化ありと語学はイベリア半島こてここてで、僕などはなんか回り道かなとおもったが、今思うとたしかに今の中南米文化にスペインの文化が根強く残っている。

そういえばその頃、バスクといえば、日本のTVでドリンク剤のCMで、バスクの大きな思い石を首のまわりでくるくる回すバスクの力比べの映像を流して、ファイト一発!とかやってたっけ(違うブランドかもしれないが)。

そんなわけで断片的にバスクのイメージはあった。その留学時にスペインをいろいろ回ってやろうとおもった際に、スペイン人知り合いから北部のバスクの主要都市は工業の中心でいってもそんなにおもしろくないから、歴史のある南スペインをまわるべきだよと言われ、そうか、バスクってけっこう暴力的な感じかつ殺伐とした工業地帯なのかなと敬遠してしまっていた。

10年くらい前か、好きなハードボイルド・クライムノベル作家馳星周の「エウスカディ」という、たしか日系アルゼンチンの主人公がバスクでETA組織に入り込んで爆弾テロにかかわるという、荒唐無稽だがとてもよく書けた小説を読んだ。やっぱり、バスクといえばテロの舞台かと、また思った。この小説はお勧め、面白い。また読んでみよう。

実は93年頃だったか、フランスからスペインへと駆け足で陸路おりたときに、電車の乗り継ぎでサンセバスチャンに3時間ほど滞在したことがあって駅の近くでランチしたことはあった。当時からシーフードが美味い美食の街という位置づけはあった。なにをたべたかよく覚えていないが、美味しい魚料理のランチだったはず。そのときは、爆弾事件に巻き込まれてもしょうがないのでさっさと早く次の目的地パンプローナへ行こうと思った。

そして21世紀、スペイン好きの日本人や東京在住のバスク人の知人と話していると、ビルバオいったらこの店のピンチョス(つまみ)が美味いとか、あそこのチュレタ(牛の串焼き)は最高だとかいう旅のアドバイスがでてくる。今やサンセバスチャンやビルバオは、美食をもとめてバールを梯子する観光客であふれているという。

ここって、ほんとにあの90年代にスペインからの分離独立でテロリストが暗躍していたあのバスク地方なのか?いったいこの30年の間になにがあったのか?

そんな疑問を解いてくれたのが、ダウンロードしておいて帰りのフライトでみたNetflixのこの映画。

2017年のスペイン映画。原題は Fe de Etarras (バスク独立運動ETAメンバーの信念)、英語題 Bomb Scared。

まぬけな邦題が示すような、どたばたコメディ。

あらすじは、南アでサッカーWCのあった2010年に、中年のETAメンバーが潜むアパートに3人のETA戦士志願若者が合流して、爆弾テロの指令を待つ。何も知らぬ隣人のおばさんからコロッケおすそ分けがあったり、内装業者だと偽ったばかりにお隣の内装工事を請け負ったりする。なかなかこない指令。そしてついにスペイン初WC優勝の地元の祝賀集会で爆弾テロ決行となるが。。。。

バスク独立問題についてぐぐってみると、なるほど、1959年にフランコの圧政に対抗してバスク独立を目指したETAは、2010年には武装闘争の停止を、2017年には完全武装解除を発表して、40年近く続いたテロによる武装闘争に終止符を打っている。

背景にはスペイン政府の地方に自治を認めていく融和政策があったとのことで、経済的にもバスク自治州の 3 県とナバーラ自治州には他の自治州にはない特別の財政制度が適用されほぼ全ての徴税権限を持ってその一部が中央政府に納められるという。もちろんフランコ時代に禁止されていたバスク語の使用も認められている。

政治的に融和策で徐々に和解ということかとなんとなく納得したが、やはり漠然とした疑問に対して、そうだったか!と腑に落ちたのはこの映画のいくつかのシーンから。

そのシーンに行く前にいくつかバスクならではと思ったグルメのシーンについて。

冒頭シーンは、たぶん1980年代にETAグループの主人公の男性が警察の手入れにあってベネズエラに逃げ出す前の食事シーンだが、初老のETAメンバーがやたら食事の味付けにうるさい。このデザートには生クリームじゃないとだめだとかいいはっている。そこへ警察が突入してくる。

後半でも、中年おやじは若者3人が料理できないと聞き、「昔のETAはそりゃいいもの食べてたんだぞ」と愚痴りながらも、自分で手を動かして旨そうな食事を作る。

なんだか、映画ゴッドファーザーのマフィアの抗争で籠ってのパスタづくりのシーンを思い出した。残酷なテロや暴力とグルメへのこだわりの共存が、なんだか映画的に面白い。

さて、その腑に落ちたシーンだが、やはり、2010年のワールドカップ。ETAテロリストは、スペインが勝ち進むなんてみてて胸糞悪い、TV消せとか言って、スペインの対戦相手がゴールするとほらみろと喜ぶ。スペインはこれまで一度も優勝したことがなかった、どうせあとちょっとのところでだめなやつらなんだ勝つはずはないとか言う。

隠れ家のアパートの下の隣人にいっしょに決勝戦みようといわれて、彼らはちょっと焦る。スペインが負けて喜んだらテロリストのカバーがばれてしまうのではとか。

結局その誘いに乗っていくが、現実同様に、2010年ワールドカップはスペインが初優勝の快挙を達成する。

一方で、ETAで爆弾テロ実施が決定され、主人公中年男の知己のETA幹部の初老の男がアパートに乗り込んでくる。そこへ、スペインの国旗を羽織って酔っぱらった優勝祝賀気分の主人公らが帰ってくる。初老のテロリストは激怒する。

以下ネタバレだが、祝賀集会の会場に手製爆弾をしかけてそれを見守る主人公たち。一応、爆弾を仕掛けたと犯行宣言の電話を事前にいれる。警察はそのゴミ箱をみつけて、周りの人に離れろという。主人公たちもみている。すると、花火のようなパンパンパンと音がして、その爆弾はちょっと爆発するがなにもダメージなくシュン終わる。周りにいた人は花火だとおもって、歓声をあげる。

主人公は長年の恨みを晴らすかのようにずっとパワハラで彼を馬鹿にしてきたETAの初老の幹部を撃ち殺す。そしてその潜んでいた4人のテロチームは、地元に愛されるフルタイムの内装業者になっていくというところで映画は終わる。たしか、闘争の形態はいろいろある、気持ちは忘れていないというような語りとともに。

なんだか、これらシーンをみてきて、長年の武闘闘争がなんだったんだろう、ワールドカップ優勝でいっしょに盛り上がった自分のアイデンティティはなんなんだろう、そんなことを自問している主人公たちの気持がわかったような気がした。一方で、手を打って武装闘争やめたけど、心の中では独立への炎はともし続けるぞというような語りもなるほどと思った。ETA闘争時代の総括、というか気持ちの整理というような。

ビルバオで、シンガポール在住の知己のアンドラ人(そうあの7万人くらいの小国、文化圏としてはカタルーニャ人)の弟と会った。彼は奥さんがビルバオ出身のバスク人でビルバオ在住がもう長い。NYのグッゲンハイム美術館の海外分館がよくみえるホテルの屋上のカフェでバスク・ワインを飲んだ。

彼曰く、1990年代に街が変わり始めたという。1992年のグッゲンハイム近代美術館の誘致以降、街がモダンアートもとりいれていろいろきれいになっていった。横を流れる川も公害で汚かったのがいまはきれいになっている。そうか、90年代か、ETAが武闘闘争やっていた頃から、地道な街の再生、美食で街おこしが始まっていたのかと思う。

もうひとつの主要都市サンセバスチャンで1日案内してくれた日本語堪能な知己のバスク人女性は(厳密にいうとおかあさんがバスクでおとうさんがカスティージャ)、バスク語は習ったし聞いてわかるししゃべれるけど、スペイン語ほどすぐにでてこない。自分にはバスク語より好きで学んだ日本語のほうが簡単かもしれないと笑う。サンセバスチャンはうどんの丸亀と姉妹都市で自分はその交換プログラムで数か月滞在してうどん好きになったという。

爆弾事件もあったわねえ、自分も小学生のときに学校を遅刻してその理由が爆弾騒ぎだと先生にいったら、そんな言い訳はききませんと怒られて、その後、ほんとに爆弾騒ぎがあったことがわかって先生に謝られたことがあったっけと、懐かしそうに思い出していた。

地味な映画だったが、これをみたバスク人はそうそうそうだよねとしみじみ自分の人生のある一時期の記憶に重ねて笑いながらもしんみりするのかなと思った。

それなりに優れた芸術作品は、異国の文化や、その国のある時代の解釈まで、さりげなく面白おかしく教えてくれたりする。

映画で大きな謎が解けたという話でした。 ■


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