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「フェラーリとポチはユーゴ」 語呂合わせ詰め込み受験勉強も人生で役に立つこともある

1年くらい前の話。昼飯食べたシンガポール人知人が、その夏はラトビアとエストニアに休暇で行ったと言う。子供がいない2人は毎年海外旅行しているんだが、その年は結婚20周年で、おくさん企画の、最初に飛行場でチェックインするまでまったく行き先を教えてもらえないという「ミステリーツアー」だった。

空港についてチェックインしたら、ロンドン経由での行き先が「リガ」という都市だと知り、どこだ?と驚くと、奥さんはしてやったりのドヤ顔だったと。

それらの国がどこか知ってるかと聞くので、僕は「フィンランドの南にエストニア、その南にラトビアとリトアニアの順、それがポーランドの北側に」と即答。え、行ったことあるのか?と驚かれる。こいつは、自分だけバルト三国に疎い人間だったのか?と不安になったか。

実はこの地域は行ったこと無い。とくに知見もなし。種明かしは、受験の世界史の勉強で身についた、あまりにもマヌケなイメージの語呂わせダジャレのおかげ。30年近くたっても脳裏のどこかに残っていて、それが瞬時に蘇ってきた。

第一次大戦後独立した東欧の国を北から並べると、「フェラーリとポチはユーゴ」になる。

「フ」フィンランドの南には、「エ」エストニアが来て、「ラ」ラトビアがあって、「リト」リトアニア、更に「ポ」ポーランド、「チ」チェコ(当時はチェコ・スロバキア)、そして「ハ」ハンガリーで、「ユ」ユーゴと南下(ユーゴはその後分裂)。

たしか、夏の代ゼミの講習で、年配の白髪の世界史の先生が、やたらダジャレでかなりマイナーな情報を記憶させようとして自分で創作した作品を連発していた。あの授業、好きだった。

第一次大戦後の独立国の位置関係を知って、人生なんの役に立つのか?という疑問も持たず、ダジャレがかもしだすイメージがおもしろくて覚えていた。「犬のポチがフェラーリに乗ってゆこう」なんて。

日本の教育は、やたら知識を詰め込むことで批判されがちだが、時には、とくに歴史とか地理とかで、ぱっと順番が頭に浮かべられるような基礎知識というのも大事かもしれない。泣くよううぐいす平安京だから平安時代は8世紀だなとか、意思国みつけるコロンブスなので15世紀に新大陸発見とか。火縄くすぶるバスチーユとか。

日本人以外と話していると、だじゃれの無い国の人達はそのまま記憶するしかないのだろうか、時にダジャレ脳が勝った経験あり。6桁数字をぱっと覚えていたりとか。まあ、アジアだと中国語の世界は、同音語がたくさんあってだじゃれの宝庫というか、語呂合わせが因習として生活に根付いているような感じである。正月に福を逆さまにして、倒福タオフーで到福(福がきたる)とか。888は発発発で縁起がいいとか。

科学でも、周期表の「水兵、リーベ、僕の船、七曲がり、シップスクラーク」とか。ぐぐってみたら、算数でも円周率にこんな大作があるらしい:「産医師異国に向こう・産後薬なく産痛さ走る・二浪し散々破産に泣く・これには芭蕉一句ない・リュックサック草薙入れ」。3.14159265 358979323846 2643383279 5028841971 6939937510

いつぞや、まじめそうなドイツ人の若者と会って、日本から来たと言うと、日本って4つの島からなって、Hokkaido, Honshu, Kyushu, Shikoku なんでしょ、とすらすら喋る。彼女はそのまま覚えていたのだろうか、それともドイツ語のダジャレみたいのが存在するのであろうか。

ダジャレ・語呂合わせ記憶文化は衰退しつつあるのか、先日も家のWIFIのパスワードの数字を新しくした時に、家族に、これはxxxxxxだとダジャレ記憶法を披露したら、日本の教育を受けていないティーンエージャーの子供には、しらーっとされて、数字は数字で覚えればいいじゃんと言われた。

このダジャレ記憶法、唯一の弱点は、ダジャレ・フレーズを口に出さないと思い出せないこと。でも、この日本古来の伝統文化は大事にしたい。

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