【田舎で暮らす日記】土になる


「土になる」これは坂口恭平さんの本のタイトルである。

先日、読書会のイベントのために購入し、昨日読み終えた。
久しぶり一気に読んだ。

坂口さんの本は初めてであったが、どこか飾らない生の声を聞いているように感じた。だから、私も飾らない文章を残したいと思っている。

私は建築学を学んできた。建築のインカレの代表も務めた。これまで多くの建築学生と接してきた。その中で、私の中の疑問は大きくなる。私は将来何になりたいのか。その問いの答えは今もわからない。

悩み続けることは好きではない。とりあえず目の前にある楽しそうなことに足を突っ込んできた結果、私は田舎にたどり着いたのだ。

この坂口さんも大学時代を東京で過ごし、東日本大震災を機に地元の熊本県に戻ったという。

なんでも自分でやってしまう坂口さんはコロナを機に畑をやることにした。その中で、自身に起こった変化が「土になる」では語られている。

では、土になるとはどういうことか。この本の中で語られている。

「僕にとっての生きる喜びは、土になる喜び、土である喜びである。ここにいる喜び、ここで動ける喜び。土になるって言葉は死ぬことを表すが、僕にとっての土になるは、生きるである。いや、生きる=土になる=死ぬ、ということなんだと思う。」

土になるとは死ぬことを連想させる。ただここでいう坂口さんの土になるとは土に触れることがなってきた現代的な生活ではなく、土に触れ、土に振り回される環境で生きることが土になるということなのだろう。

私は東京で生まれ育ち、土に触れる機会はほとんどなくこの歳まで来てしまった。別に土に触れなくても生きていける。ただ、東京での暮らしには欠けていると思うことが多い。それを上手く言葉にできないが、お金に還元し物事に価値を表すシステムが絶対的存在であるからではないかと思っている。

土になることはそういった社会にうごめく雑念のない世界に生きることではないかと思う。

だからこそ、私はこの本にのめり込み、影響されて文章を書き、明日知り合いに畑を借りに交渉しにいくのだ。

田舎は土になることは容易い。この本の中で現れるヒダカさんのように畑に詳しい人は多くいる。私も田舎で土になる。その先に私は将来どうしていくのか。どうしたいのかをまた考えていく。

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