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『ハーモニー 』を読んだ。(21/3)

伊藤計劃
早川書房、2012年電子書籍版発行。

最近『虐殺器官』(伊藤計劃著)を読んだ。夜更かしして読むくらいには引き込まれたので、引き続き同じ著者の書籍を読んでみようと思い立った。伊藤は作家デビュー後すぐに亡くなっているので、本作『ハーモニー』と合わせて2作だけが計劃の書籍となる。

クライマックスの流れはSFの古典と似ている。とはいえ他作品はこの流れを高次知能生物を使って説明したり、スピリチュアル、神話的に表現したのに対し、本作では筋道の立つ科学的な説明がなされている。世界観の練り込みを感じた。

以下ネタバレ含む。

「WatchMe」というウェアラブル端末を体内にインストールすることで、体調管理を徹底的に行い、情動すらも管理される社会。自己の情報は外部に曝け出され、「プライベート」という言葉の範囲は狭くなった。主人公はこのような社会に息苦しさを感じて、紛争地帯に赴き使用を制限されているアルコールやタバコを摂取しながら生活を送っていた。

「WatchMe」はあくまでも体内の調整だけで、脳内の認識・調整はできない。というのが全世界的な共通認識であったが、すでに技術的には克服されており、国上層部の決定を待つだけであった。脳のコントロールがない故に紛争が発生し、企業は存続をかけて成長していた。

というのが大きなあらすじで、脳コントロールを実行してしまおうぜという派閥と、しちゃダメっていう派閥による戦いであることが終盤にわかる。そしてこの「脳のコントロール」というのは一意の集合体的な意思を確立することであり、端末をインストールした人間全員が全く同じ意思を持つようになる。全員が同じ意思を持つが故に会議は必要なくなる。これは『エヴァンゲリオン』でいう「インパクト」と同義であるし、『幼年期の終わり』のクライマックスとも同じと言える。

エヴァにおいても『幼年期の終わり』においても、「意思の統合」とでもいうべき人類の融合は発生する。SF作家たちはこの統合には賛成だったのだろうか。個人的な感想としては意思が溶け合って1つの生命体になることは随分と生きやすくなると思う。それの方が人生は楽だろう。でもそれではダメなんだ!と叫んで阻止する人間が居ても良いと思うのだけれど。今作においては序盤は主人公は阻止しようとしていた。しかし結局は発生してしまった。このすれ違いの気持ち悪さは今後SFを読み続ける上でも抱え続けることになると思う。
ちなみにハーモニーとは同調のことで、今作においてはこの融合とほとんど同じ意味を成す。

ところで作中に出てくる「全書籍図書館」に「ボルヘス」というルビが振られていたが、これはもしかして『伝奇集』で有名な「ボルヘス・ルイス・ボルヘ」のことだろうか。彼の作品は少し読んだことがある。やはり作家という人間は様々な書籍を読んでいるのだなと感心した。

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