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どっと混むの思い出

ジーピリピリピピピーピピー

何の音だと思うだろうか。
FAXの受信音と思った人はその答えは近い。正解は、20数年前の私が聞いていたインターネットに接続する音が、こんな音だった。

ジーピリピリピピピーピピー

パソコンに電話回線につなぎ、指定された番号に電話をつなぎ、IDが認証されるとスピーカーから聞こえる音がこの音だった。ダイヤルアップ接続という方式だ。

最初は電子メールを送るためだけに接続していて、メールの送受信がおわるとすぐに切断していた。はじめてのインターネットは、FAXではなくパソコンから文章が送れるぐらいの感覚だった。

国内でダイアルアップ接続のサービスがはじまったのは94年。
翌年にテレホーダイという夜11時から朝8時までの間は、指定番号にかけ放題の料金プランができて、いつしかインターネットのゴールデンタイムは「深夜」という文化が生まれた。

私が大学に入学したのは96年。孫さんがアメリカ初のサービスを輸入し、Yahoo!JAPANがはじまった年だ。インターネットに接続するのは大学からというのが常識で、Yahoo!JAPANのサイトに登録されているサイトをたどってゼミ課題のための資料を調べていた。

そんな大学時代、サークルの課外活動でインターネットの社会実装について研究していた。
1つは、小学校の教育現場。教科書や辞典以外の情報を通じて調べ学習をすることが、発想力や学ぶチカラの充実につながるのではないかということをディスカッションしながら探っていた。小学生でも海外の情報を手軽に見れるというのは、画期的な仕組みに思えた。

もう1つのテーマは、中小商店でのビジネス活用。ホームページを作って、商品のアピールをしませんかというものだ。
いまならAmazonや楽天に登録することで、自由にモノが売れるが、当時は決済や発送の仕組みがないので、通信販売の1つのルートとしてホームページを作るのが一般的だった。新聞の旅行広告ではないが、注文はこちらへと発注を受けとる場所だった。

当時このホームページを使って、一番有名だったのは中小商店で、何を売っていたかおわかりだろうか。私は20年以上たった今もはっきりと覚えている。

それは「傘屋」さんだった。
サイト名も覚えていて「傘屋どっこ混む」と言う名前だ。

ドメイン名の「.com」を、<どっと混む>とシャレて呼んでサイト名にしていた。大阪の傘屋さんだが、ちょっと高級な傘を扱っていたと記憶する。
そこから注文を受け付け、届いたEメールにあわせて伝票を起こし、注文をさばいているようだった。
インターネットの黎明期、何が売れるかも変わらなかった時代、この傘屋さんは有名になっていた。

この話をみて、インターネットの世界では「ちょっとした逸品」が世界にむけて売っていけるのではという気づきはあった。それは、今も変わっていない気づきだっとと思う。

ただ、当時は素直に<傘>なんて売れるんだなぁ~と思っていた。

あれから時代は過ぎ、注文と決済・配送は一体化し、今必要なものはネットスーパーやUberEatsがあっという間に届けてくれるようになった。10年ひと昔、20年以上というのはその倍以上で様変わりするものだ。

でも、この傘屋さんのチャレンジは見事だったと思う。

ふと思い出し、「傘屋どっと混む」と検索してみた。サイト名に「どっと混む」はなくなっているが、URLは変わらず<kasaya.com>があるじゃないか。代表の宮武さんの名前に憧れたものだ。

ホームページの沿革に、当時のことも書かれていて平成9年(97年)には店舗も閉めている。先を行く人というのは、思い切りもよい。
20年経った今も元気をもらった気がする。

こうして出会いを思い出したのも何かの縁だ。
「心斎橋みや竹」で1本傘を注文してみよう。どんな傘が届いたかはまた後日唱えてみたい。

参考:
日本におけるインターネットの歴史とデジタルアーツのあゆみ https://www.daj.jp/history/internet/
インターネット歴史年表 https://www.nic.ad.jp/timeline/


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