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『自分のゲームを全うできるのか』人生における私の課題

私は幼少期からずっと周りの顔色を伺って生きる子供でした。

背景には両親と祖父母が対立する家庭環境があり、自己表現をすることで両親に迷惑がかかることが分かり、自己表現することをやめ、両親と祖父母の状況を伺いながら生きるようになっていきました。

ですので小学校でも、中学校でも、高校でも、大学でも、形は違えど、いかに周りに不快に思われず、問題を起こすことなく過ごすことが出来るのか、だけに注力してきました。しかし同時に、自分を押し殺しながら周りに合わせる努力をし続けることへのキツさも感じていました。

就職活動

そしていざ就職するとなった時に、そんな自分を脱皮して、自己表現しながら、周りとも調和しながら、生きられるような環境で働いてみたいと思うようになりました。

しかし実際に話を聞いてみるとこれまでの学生生活以上に自分を押し殺して生きていかなければならないように感じました。大企業、ベンチャー企業、フリーランス、社会起業家…どんな環境に移っても、周りに合わせてしまう自分は自分のままなんだな、と感じ、変わらなければならないのは自分自身なんだなと痛感しました。

そこで私はこのまま就職活動を続けてどのかの企業に就職するのか、それともそんな自分自身を変化させた状態で、これからの生きる道を決めるのか、二択を迫られました。

後者を達成するためには休学という選択が必要で、これまで同級生たちと足並みをそろえて生きてきた私がそのレールから一度降りることは、それまでの人生で一番勇気のいる事でした。

友人たちはどう思うんだろうか。
両親はどう思うんだろうか。
親戚たちはどう思うんだろうか。

しかし一度きりの人生。たった一年の違いで何が変わるんだろうか、と思い、休学を選択し、どうしても周りに合わせてしまう自分自身を変化させる時間を取ることにしました。

そして自分自身を変化させるためには上記のような、自分が勝手に思い込んでる固定概念のようなものを破壊しなければならないように感じていました。とは言えこれまでの人生でそれを変えることは出来ませんでしたから、これまでやったことのないことをする必要があると思いました。

そこでまず私は自分の常識が通用しないような土地で過ごしてみることにしました。私は東南アジアには行ったことがありましたし、日本は先進国でしたので、東南アジアではない後進国の国で過ごしてみたいと思うようになり、アフリカも候補にありましたが知り合いの勧めもありジャマイカという国で3か月ほど過ごしてみることにしました。

実際に過ごしてみて私の価値観は大きく揺さぶられました。

ジャマイカ

まずは先進国という概念ですが、私はとても一般的な家庭で、一般的な考え方で生きてきましたので、「先進国のほうが幸せだから後進国を援助している」ということに疑問を持ったことがありませんでしたし、実際に日本は幸せな国なんだと思っていました。

しかし実際に山奥で数百人のコミュニティで暮らしている現地の人々を見ていると、日本でみてきた大人子供たちより断然楽しそうだったんです。ジャマイカはとても貧しい国で、仕事もないですから彼らはとても貧乏ですし、暇してます。それでもすごく楽しそうだったんです。すごく生き生きしてたんです。すごくフレンドリーだったんです。

それに比べて日本の人たちの生き方は、窮屈で、疲弊していて、関係性がとても希薄に感じました。

先進国の人たちは彼らに先進国のような生き方が出来るように援助していますが、それが本当に必要な事なんだろうかと思うようになりました。もちろん現地の彼らも先進国のような生き方を望んでいます。もっといい家に住みたい。もっといい車に乗りたい。もっといい服が来たい。もっとお金が欲しい。

彼らの考え方にももちろん一理あります。しかし彼らが先進国的な生き方を求めることによって、現状では満足しきれず、お金を求め人をだまし、犯罪を起こし、人を殺めるようになっていってしまいます。実際に私の滞在中にも身近な人が3人ほど殺されました。

1962年にジャマイカはイギリスから独立しました約450年に渡る欧米の植民地からの解放です。言葉だけ聞けば喜ばしく感じるかもしれませんが、一説によればジャマイカがあまり利益を生み出すことができなくなり、イギリスのお荷物になってしまったがゆえにイギリスが手放したという話もあります。

実際そこからのジャマイカは苦難の道を歩んだといいます。国家としての土台もなく、国を支える主力産業もなく、キューバとアメリカのイデオロギー紛争にも巻き込まれ、一時は政党に雇われたギャング同士の殺し合いが絶えなかったと聞きます。

そして少し落ち着いたかと思えば、主力産業として育ててきた農業は、大きな補助金を与えられたアメリカ産農作物に取って代わられ現地の農家たちの大くが職を失ったといいます。また工場はフリーゾーン(自由貿易地域)という「土地はジャマイカにあるのに、ジャマイカ国内の法は適用されない」地域にある工場で作られ驚くほどの低賃金で働いていたといいます。そして一大産業である観光業は、オールインクルーシブという「そのホテル内だけですべてが完結する」資本形態によって、地元企業にお金が落ちることはほとんどなく、ほとんどが外国資本で成り立つホテルのオーナーたちに利益は一極集中するという仕組みであるといいます。その現状に私はとても驚きました。

そしてこんな苦しい状況がいまだに続いています。

映画『ジャマイカ 楽園の真実』でIMFの問題を知る

本当にこんな道の先に彼らの幸せがあるのだろうか。
こんなに大変な国があるのになぜ豊かであるはずの日本人たちが自分のことだけで手いっぱいになってしまうのだろうか。
本当に私たちが目指す先に私たちの幸せはあるのだろうか。

私はそんな風に考えるようになり、「なぜ社会はこのようになっているんだろうか」「なぜ社会をより良くしようとしてきたはずなのにこんな現状になってしまっているのだろうか」という疑問を持つようになりました。

日本へ帰国

そんな疑問をもって日本へ帰国し、図書館へ通いつめ、沢山の人の話を聞き、沢山のことをやってみました。それでも私の納得のいく答えを見つけることは出来ませんでした。

そうしていくうちに私の休学期間も折り返し地点を過ぎていきました。そんな疑問を持つようになった私でしたが、いくらジャマイカで過ごしてみても当初の問題意識である、周りの目を気にしてしまう自分が変化する兆しは一向に見えてきませんでした。

自分を変化させられる兆しも見えず、ジャマイカで感じてしまった根本的な社会への疑問の答えも見いだせず、時間だけが過ぎていき、まさに八方ふさがりで焦りばかりが募っていきました。

そんな時にたまたま手に入れたチケットで参加したのがノジェスさんの講演会でした。

令和哲学者Noh Jesu(ノ ジェス)さん

たぶん2時間くらいの講演会だったと思いますが、これまで味わったことのない方向性の話ばかりで、正直何言ってるのか分からな過ぎて2/3くらい寝てしまっていました。

それでも頭から話せない言葉がありました。

すべての問題の根本原因は観点の問題です。人類はずっとそれを解決できなかったから今のような社会状態になっており、私はずっとその問題を解決する教育を体系化してきました。その問題さえ解決できれば全ての問題は必ず一掃することが出来ます。

その時の私は藁をもすがるような状態でしたから「そんなものがあるなら知りたい」と思って、その教育を勉強してみようと思いました。

そしてその教育のお試し1dayセミナーのようなものに参加させてもらって、そこで「観点の問題」というものを共有してもらって天地がひっくり返るほど驚きました。

そこで私は一番驚いたのは「脳の不完全性」でした。当たり前のことですが私たちは脳を通してこの世界を認識しています。そしてその脳が認識する世界には、目であれば可視光線の範囲、耳であれば可聴域があるように、必ず限りがあります。ここら辺は学校の授業でもやりますよね。でもここだけで終わりません。

では、私たちが脳で認識している世界は実在しているのでしょうか?
人間が見ている世界が真実なんでしょうか?蛙が見ている世界は?犬が見ている世界は?蛇が見ている世界は?どれが真実ですか?
可視光線で見える太陽が正しいですか?紫外線で見える太陽は?X線で見える太陽は?

つまり私たちが認識している世界は全て部分でしかなく、「誰一人として同じ画面を共有できている人はいない」「私たちが見ている世界は錯覚でしかない」ということでした。そして私たち人類はその状態で秩序を作ってきてしまったがゆえに、我慢を中心とした秩序になってしまい、どうしてもすべての人の観点を活かしあえる社会にはなってしまっているということでした。

そしてこの問題を解決するためには次元上昇した観点が必要であり、そのためには「観点がない世界から観点がどのように生まれたのか?なぜ観点が必要だったのか?」に対する理解が必要不可欠であるという事でした。

そしてそれは「宇宙が無い世界から、宇宙がどのように生まれたのか」を理解することとも同義であり、それらを理解することでこれまで人類が解き明かすことの出来なかった多くの謎を解くことができるようになるという事でした。

なんと壮大な世界と出会ってしまったんだろう…

当時の私はそんな気持ちでした。それまで普通の人生を歩んできた私がなぜこんなものと出会ってしまったのか。不思議でたまりませんでした。

まだそのセミナーを受けても理解できないことは多くありましたが、そのほとんどの話は納得できるものでした。

これまでの人類は人間以外を開発してきたが、人間そのものを変化させることが出来なかった。だから環境問題が止まらない、貧富の格差が終わらない、犯罪も戦争も鬱も自殺も終わらない。だから人間そのものが変わらないとならない。そして人間が変化できなかった根本原因は観点の問題に対する無知であり、その解決策を開発できなかったからである。そしてそれを誰もが理解し活用できるようにすることで、現在社会の限界を補った全く新しい社会へのパラダイムシフトを起こすことが出来る

そんな彼の主張は当時の私の個人的な悩みにとっても、ジャマイカで感じてしまった問題意識にとってもあまりにクリティカルな内容でした。

そして私は一縷の望みをかけてその教育を本格的に学ぶようになりました。

nTech(認識技術)

そして私はその「次元上昇した観点・観点のない世界」というものを教えてもらいました。そして全てが腑に落ちました。

なぜ人類はその世界をこれまで共有することが出来なかったのか。
なぜ社会がこのようになってしまっているのか。
なぜ私は自分を変化させることが出来なかったのか。

それはまさに「目が見えない人に青色をどのように共有するのか」という世界でした。様々な先人たちが見つけることが出来なかった、見つけたとしても共有することが出来なかった、そんな世界でした。

そしてその世界はその一点さえ分かってしまえば、すべての謎が解けてしまうようなとてもシンプルな世界でした。

ノジェスさんはこの世界を、これまでの先人たちの歩み、そして現代科学などを活用し、あらゆる角度から誰もがこの世界を共有できるような教育を体系化されてきました。

そして彼はこの世界を0=∞=1という数式で整理し、全ての学問、全ての宗教、全ての哲学、全ての国家・民族が疎通し合えるように体系化しています。

なんという世界に出会ってしまったんだろうか。

私は更に思いました。その世界は私の想像を遥かに超えていった世界でした。

この宇宙の作動原理、私たち人間の意識の作動原理、そして現代社会の象徴ともいえるようなPCの作動原理、それらが一貫してたった一つの仕組みで整理することが出来る世界観。

まるで天動説では説明できなかった多くの謎が、地動説という概念を取り入れることで解明してしまったように。神という概念では説明できなかった多くの謎が、力という概念を取り入れることで説明できるようになったように。それらすべてを一気通貫する歴史的なパラダイム転換の瞬間に足を踏み入れてしまったように感じました。

全く新しい日本

そしてノジェスさんはこの0=∞=1を軸とした完全学問・世界基軸教育は、日本からではないと始められないといいます。それはこの0=∞=1が日本の心そのものだからということでした。

正直当時の私には何を言ってるのかよく分かりませんでした。しかし彼のそんな日本に対する想いを聞き続けていくうちに彼が発する「日本」が、私がこれまでイメージしてきた「日本」とは全く異なるものだという事が分かり始めてきました。

日本からではないと始められない

今は、彼の言う日本が以前よりもよく分かるようになりました。それはやはり私たちが教わってきた日本とは全く違うです。

それから

そして私はこのように、ノジェスさんと出会い、nTech・認識技術と出会うことで、これまでの人生で抱えていたどうしても周りの目を気にして生きてしまう自分を変化させること、ジャマイカで痛感した現代社会への疑問への突破口と出会うことが出来ました。

ここからは私の選択でした。休学前に決めた通り、自分自身を変化させたうえで就職活動を再開するのか。それともノジェスさんが貫き通している人間そのものを変化させる社会を作っていくのか。

とはいえ、私の心は決まっていました。

実際にどこまでできるか分からない。
周りにどう思われるかも分からない。
どんな道のりになるか分からない。

それでも私は、人間の変化の鍵を知りながら、社会の変化の鍵を知りながら、それらを知らないふりをして生きていくことは難しかったです。

そして私はnTechを学びながら、自分のように自分を変えたいけど変えられずに苦しんでいる人の役に立つために、そして誰もが互いの観点を活かしあえる社会を構築するために、生きていくことを決めました。

自分を変えたいけど変えられない。
これからの社会は人間そのものが変わらないとならないと思う。
そのためには今までのやり方では通用しないと思う。

そんな人たちと手を取り合って、自分自身を、身近な人を、社会全体を、根本から変化させていく道を共に作っていきたいと思ってます。

長くなりましたが最後までお読みいただき有難うございました。


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