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自分を好きになれない。

私はずっと自分のことを好きになれませんでした。とても嫌いでした。

相手を不快にしてしまう自分
口ばっかりで行動しない自分
相手の目ばかりを気にして自分の意見がない自分
嫌われたくないから自分を擁護してばかりの自分
相手を馬鹿にしている自分
自分を特別だと思いたい自分
相手を好きになれない自分
相手を大切に思えない自分
自分のことしか考えられない自分
・・・etc

数え上げたらきりがありません。

そんな風に、自分のことが嫌いな状態で生きることはあまり楽しいものではなく、一番長い時間一緒にいる同僚が、ずっと自分のことを受け入れてくれないような状態なので、生きることはストレスでしかありませんでした。

なんとか目の前の人々には嫌われないように努力してきましたが、当の自分が自分のことを嫌いな状態ですので、どれだけ目の前の人に受け入れてもらったとしても、そこまで大きくストレスが軽減することはありませんでした。

自分を好きになりなさい
自分を肯定できるようにしなさい
そういう風に考え方を変えない
・・・etc

多くの人たちが声高にそんなことをよく言っていましたが、それの変え方を分からないのに、それをやれということはとても難儀なものでした。「そうか、それを変えられない人間がいることが分からないのか」「そうか、自分はそれすらできない欠落人間なのか」そんな風に思うようにもなってしまいました。

自分が嫌いで嫌いで。自分が嫌で嫌で。受け入れようとしてくれる人がいればいるほど、「自分はそんな人間じゃない」「本当の私を知ればこの人も離れていく」そんな考えが私を支配し、そんな人たちを拒絶するようにもなっていきました。

こんな状態ですから、未来にも大した希望を描くことは出来ませんでした。せめて少しでもこの苦しみが和らぎますように。そんな状態を模索して生きてきました。

そんなときに出会ったものが「観点を変化させる技術・認識技術」でした。

「観点を変化させる技術」と聞いたときに私はとても興味がわきました。それらのワード全てにです。そしてその認識技術の整理によれば、全ての問題を生み出している根本問題が「観点固定の問題」だという事でした。そんなワードにも心惹かれました。

そして私はその「認識技術」を学び始め、「観点とは何なのか」「観点を変化させるとはどういうことなのか」「なぜ変化させることが出来るのか」「なぜそれを技術と呼ぶことが出来るのか」などを徐々にではありましたが、一つ一つ理解することが出来るようになりました。

そして今では、あれほど嫌いで嫌いで仕方がなかった自分のことを受け入れることができて、やっと、好きになることが出来るようになりました。

自分のことを嫌いな状態でしか生きてたことがありませんでしたので、そうじゃない感覚は不思議でたまりません。生きるという事が、こんなにも軽やかで、リラックスできて、楽しいものだとは、夢にも思えませんでした。

考えや、感情やイメージ…のそすべてを生み出しているものが観点です。仏教的に言えば阿頼耶識と言えると思います。心理学的に言えば無意識でしょうか。生物学的に言えば遺伝子に刻まれた遺伝子情報ともいえると思います。

私の自分嫌いはあまりに根深かったですので、巷にあふれているやり方では一切自分を好きになることは出来ませんでした。ですので認識技術と出会い、全ての根っこにある観点を変化させることでしか、自分が大嫌いな私を卒業することは出来ませんでした。

もし私のように何をやっても自分を好きになることが出来ない、自分を受け入れることが出来ない方は「観点を変化させる技術・認識技術」を学んでみることをお勧めします。これだけ頑固だった私が変わることが出来たのですから、変化の意志さえあれば必ず変化できることを私が保証します。

認識技術(心感覚)の全体像はこちらの動画から↓

更に興味を持った方はこちらの本をぜひ↓

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