人に頼ることが苦手な私たち
自殺。
考えただけでも悲しい。
胸がキュッとなる。
なんで彼ら彼女らは自ら命を絶ったのか。なぜ、気づいてあげられなかったのか。
いつも笑っていたり、強かったり、しっかり者と言われる人ほど案外思い悩んでいることが多い。
そういう人は、自分の悩みを打ち明けたり、人に頼ることが苦手なんだと思う。
悩みとか愚痴を相手話すのは、相手の気持ちを暗くさせてしまうから嫌だ。
人に話した方が解消されるのはわかっているんだけど、でも、本当に助けてほしい時って誰に聞いてもらえばいいのかわからない。
携帯という便利なものによって、人と人とのつながりは簡単になったものの、いざLINEのトーク履歴をあさっても、誰に話せばいいのかわからない。
苦しい。聞いてほしい。でも、誰に言えばいいの。誰なら聞いてくれる?誰ならわかってくれる?
時々私はこんな感じで一人で抱え込む。小さい頃からこれはずっとだ。
小学校6年生の時。
私は友達関係でごちゃった。
私は、クラスの一軍の7人グループにいた。そのグループは、3人組、2人組、2人組で構成される連合グループみたいなもんだった。
ある日突然グループのボスみたいな子が言った。
「〇〇うざくない?外そう。」
え?って思った。私はうざいと思ったことがなかったから。外す理由がわからなかった。でも、
「私も前からそう思ってた。〇〇がこの前〜しててキモかった」
みんなは外すことに賛成だった。
次の日から、その子はグループにはいられなくなった。無視した。
そう、私は、みんなに従った。もし、断ったら自分が外されるかもしれないから。
でも、仲間外しゲームはこれで終わらなかった。次は、外そうって言い出した子が外されるようになった。私はますます作り笑いとかして、相手の顔色を伺うように「友達」たちと遊んだ。
最終的には、私が転校してすぐの時に最初に仲良くなった親友までもが外されて、私はそれに声を上げることができず、自分だけが、一人にならず、生き残った。
初めて誰も信じられなくなった。初めて友達が怖いと思った。これからどんな風に人と接せればいいのかわからなかった。どうせ仲良くしても、相手は私を見捨てるかもしれないと思ったから。
幸い、私は、小学校卒業後は親の仕事の関係で引っ越すことになり、そこでの人間関係からは離れることができた。
でも、中学では本当の自分は見せず、いつも別人かのように振る舞っていた。できるだけ目立たないように、当たり障りのないことを言って場をしのいでいた。
「もっと自由に自分らしくいたい」と思って、高校は自分に一番あってそうな、風通しの良さそうな高校を志望した。受験日一週間前に、親から、「願書を取り下げる?」と言われて、親に対しての信頼をそこで失ったけど、無事に第一志望合格。高校生活は、中学の時と比べたら何倍も自分らしく入られてすごくすごく楽しかった。最高の友達と出会い、彼女たちとは卒業してから四年たった今でも頻繁に会うほど仲良し。
大学に入っても良い友達はできた。深い話をすることが好きだから、彼ら彼女らといる時間は楽しい。出会えてよかった。
でも、そんな最高な友達に出会ってもなお、私はまだ人を100%頼ることはできない。やっぱり、ちょっと怖い。これは、きっとこれからもずっとそうだと思う。
一人で抱え込むことは苦しい。苦しくて苦しくて嫌になる。
でも、命だけは絶対に絶ってはいけない。生きる意味はある。苦しみの後には、必ず良いことがあるから。
今苦しんでいる人。一人で抱えている人。
私はそれでいいと思う。私たちみたいな人は、一人で悩むしかないんだと思う。自分しか信用できなかったら、日記を書いてみるといい。過去の自分に今の悩みを解消するヒントを得られるから。
だから、どうか、命だけは絶たないで。
あなたは生きる価値がある。
あなたは苦しんでいい。苦しむことはいいこと。悩むことはいいこと。
きっといつか苦しみから抜けて、輝くことができるから。
そして、その輝きは別の誰かを輝かせる力となるから。
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