私がロッテルダムに留学した理由
「もしも街がカラフルなもの、アートなものであふれていたら、人々はハッピーになるのか」
私は公共空間にあるアート、パブリックアートに興味をもち、アートな街ロッテルダムへと留学した。
パブリックアートは、美術館のそれと違って、その空間にいる全ての人が鑑賞できる。だから、その分、影響を与える範囲はでかい。アートの力が人間を豊かにするものだとしたら、パブリックアートはより多くの人を豊かにできるのではないか。そんな疑問を抱いて、私はモダンなアート建築で有名なロッテルダムに決めた。
そもそもこのような発想に至ったのはなぜか。
東京に住んでいた時、電車に乗ってる人はみんな疲れているように見えた。バイト先のカフェに朝くるお客さんもどこかイライラしてたり。そんな人たちを明るくするには、いつもみている景色に遊びを増やせばいいのでは?
それを体感するために、アートな街に住んでみようと思った。
ロッテルダムってどんなところ?
ロッテルダムは、オランダの南西部に位置し、世界有数の港町として知られる。人口規模は、オランダの首都アムステルダムに次いで第2位であり、46%は移民で占めている(2009)。
第二次世界大戦で、街のほとんどが消滅してしまったので、戦前の建物はほとんど残っていない。しかし、現在のロッテルダムは、近代的でモダンな建築で溢れた都市として、国内からも海外からも名を知られている。クリエイティビティとエネルギーで溢れた街。それがロッテルダムだ。
ここでいくつかロッテルダムの建築物を紹介したい。
これらの建物は、住居やオフィスビルであり、人々が普段利用しているものである。初めて目にした時は、驚きでいっぱいだった。日本では見られないような色使いと構造。これはこれは面白い。
街全体が醸し出すクリエイティビティに、私は刺激を受けた。
住んでみた結果
「もしも街がカラフルなもの、アートなものであふれていたら、人々はハッピーになるのか」
八ヶ月間の生活の中で、この問いに対して感じたことを述べる。
住んで初期のころと比べて、アートな建築を見てもだんだんと感動を失ってしまったというのが正直な感想だ。当初は珍しかったものが、住んでいくうちに当たり前のものと化してしまった。
だけど、生活空間にアート的なものを見つけたとき、「なんだろう」って少し考えたり、「このデザインかっこいい」って気持ちが上がったりして、何かしら心が動いた。また、当たり前のものとはなっても、やっぱり何かしら、刺激はもらっていたと思う。ダイナミックで個性的な物に囲まれると、自分も個性を発揮してみたくなった。だから、アートは少なくとも、少しは人の心に、何かしらの影響を、継続的でなくても、与えるのではないか。
また、パブリックアートはある種の目印となり、人の集まる場所を作り出すと思った。私は友達とよくアートのオブジェを待ち合わせ場所に使っていた。このようにして、人が集まる空間を作ることができる。何気ない「空間」を生きた「場所」に変える。だから、たとえそれが当たり前と化しても、また別の価値を生み出し続けるのではないか。
やはり、アートは何もないところから新たな価値を生み出す力があり、それは人間の生活を、心を豊かにすると私は思う。
ただ、これはあくまでも私が感じたことであって、一般的にはどうであるかわからない。アートに関心がない人であれば、素通りするだろうし、もはや、こんなものに税金使うなと反発さえするだろう。だから、自分が抱いていた仮説を十分に検証できていない。地元の人はどう思っているのか、アートに無関心な人はどう思っているのか、いろいろな人に本来ならば聞くべきことである。
だけど、この問いの解を求めて、ロッテルダムへと身を借り出した経験を通して学んだこと。
それは、実際に現地に行ってみてこそ、わかることがあるということ。本でもインターネットからでもいろいろ学ぶことはできるけれど、自分が肌で感じた経験は一番やっぱり信用できる。
何事も自分で確かめなくっちゃね。
なんだかんだ、留学の目的はちょっとは果たせたのかも。
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