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美味しい

自分と他の人に見えてる世界はあまりにも違う(想像以上に)ということを感じて、自分の見えてる世界の一部を書いてみようと思いました。テーマは「美味しい」です。マジで理解できないだろうと思いつつそんな人はこんなやつもいるんだと思ってください。共感できる人いたら教えてください

自分が中学生の時にした意思決定で割とはっきり覚えてるものがあって、捨てられる欲とか感情は捨てる、みたいなのがあった。(今はそんな意思ないし、ましてや捨てられているわけでもない)
この時から、美味しいなんていう感覚を知らなかったからか定かではないけど、食べたいものとかどうでもいいな、と思っていた。食欲なんて食べればなくなるし、そんな欲を持つより、もっと何かしら芯のある強い意思みたいなものを持って、自分がやりたい何かを探す方がなんかかっこいいじゃん、くらい尖ってた。全然トレードオフじゃないのに、そういう欲は集中を削ぐと考えていた

同級生とどこでご飯を食べるか決める瞬間は毎日のようにあって、その度にじゃんけんをしてた。自分は、みんなが行きたいところ行けばいいじゃんくらいに思っていたので、候補を出さずにじゃんけんだけ参加したりして、そういう時に限って勝ったりして文句言われてた記憶がある

受験期には、畜産業が世界を破壊してる!みたいな勉強をした末に、美味しいって悪じゃん!とか思い、ビーガンをやってみたりした記憶がある
(めっちゃ周りに心配された末に、めんどくさくなって3週間とかでやめる)

そんなこんなで「美味しい」という感覚から背を向けて生きてきた。じゃあそんな自分に好きな食べ物ってないの?って聞かれると、わからない、というのが率直な感想で、食べた時に感じるものは確かにあるけれど、それが「美味しい」という感情なのかわからない、という感じ。「ああ、これはなんかたくさん食べれるな」「毎日食べても飽きない」とかあるけど、そこから、「美味しい」という言葉になかなか自分の中で繋がらないと思っていた。あるいは、自分が素直じゃなさすぎて、美味しいことを認めたくないだけまである

ただ、最近少しずつ、そんな感覚と向き合えるようになってる気もしてる。
“You are the average of the five People you spend the most time with.”
という有名なTEDのスピーチがあるように、自分の周りにあまりにも美味しそうに「美味しい」っていう人がいる中で、自分も少しずつ自分の中での感覚とその言葉を結びつけられるようになってる感じがする。あるいは、美味しいという感情を認めれらるようになっている感じがする

自分の中の「美味しい」の変遷を語ってみました
リクエストがあれば教えてください


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