見出し画像

ひと区切り。本当にありがとう

ついに来る本当の別れのとき


今日、やっと父を火葬することが出来た。

骨になった父をぼんやりと見る。

まだ実感がわかないなあ。


このご時世でなかなか斎場が空いていなかったので今日まで延び延びになってしまった。これでひとまず肩の荷が下りたような気がする。


うちは普通の家庭ではなく、一家離散というか家庭崩壊というか、本当にいま思い返してみてもあり得ないことばかりで色々とおかしい父ではあったけど、本当にありがとう、という気持ちしかなかった。


それでも涙は出なかった。


決して悲しくないわけではないけど。


中学のころに蒸発して、15年ぐらい。

俺の父親は最初っから居なかった


そう思ってずっと生きてきたから、かも知れない。


普通の家庭。“実家”というものがあって、きちんと帰る場所があって、何かのときに『尊敬できる人は父です』と胸張って言えるような家に育っていたら、恐らく立っていられないほど泣いていたかも知れない。小さいころはお父さん子だった。


家庭を捨てて出て行ったのも、この日のための父なりの思いやりなのかも知れない

そう思ったら何だかすべてが許せるような気がした。


その意味でも、本当にありがとう、という気持ちしかない。


そう思って骨になってしまった父を、ゆっくりと納骨する。


母は少し離れたところにある椅子に腰かけて、骨になった父を見ることはなかった。その点でいえば母の方がよりショックを受けているのだろう。


出棺の際に持つ棺の重み


出棺。

火葬する窯に入れる際に妹と2人で棺の頭側を持ち、葬儀屋さん2人が足側を持つ。

年齢的なもの、病気的なもので痩せていたとはいえ父は体格が良かったので、4人で持ってもめちゃくちゃ重い

こんなに重かったのか・・・


そこで今回見て下さった葬儀屋さんから言われた言葉。

重いでしょう。これ、この重さを絶対に忘れないで下さいね。子どもは親に抱かれることがあっても、親を抱く機会はないから。そしてこれはもう二度と無いことだから、どんなことがあっても決して忘れないで下さい。


棺の重みとその言葉の重みと、本当に身に染みた。

そして、言われたのは

親の声や話し方


つい2週間ぐらい前まで普通に会話していた父である。それでも人の記憶力は2~3年もすれば声や話し方、話のトーン、すぐに曖昧になり、薄れていき、やがては忘れていってしまうことだろう。

いま、このとき。まだ耳が記憶しているうちに、何度でも何度でも思い出してあげて下さい。それがお父さんに対する一番の思いやりと、ご供養になりますから。


葬儀屋さんから言われた言葉。心したい。


思い出せるときはいつでも思い出すからな

いつも電話に出たときの少し高い「もしもし!」の声とかな


次にそっちに行くのは母か、あるいは俺かも分からないけれどその時はよろしくな。

とりあえず持って帰ってきた骨壺。俺の住む部屋に来るのは初めてだったか。俺はこんなところに住んでいて、あんたが住んでいた部屋に行っていたんだよ。

全然大したものは出せないけど、とりあえず好きなコーヒー、コーラ、最後まで食べていたチョコレートを備えたから体のことは気にしないで遠慮せず好きなだけ飲み食いしてや。

納骨されるその日までここで落ち着かないかもしれないけど、ゆっくりと休んでな。

何でか知らないけど今になってちょっと泣けてきたところだよ。


ありがとう。


おつかれさま。


迷惑メール対策とたまにB級グルメ的なものをご紹介いたします