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確かにそこには「生活」があった

今になってじわじわとくるものがある


忌引きで会社をお休みして、父が住んでいた家の片付けやら家や電気ガス水道の解約の連絡やら。

まあ、とにかく電話したなあ。

毎月の売上ノルマに追われていた営業時代か、昔やっていた芸能マネージャー時代を思い出す電話しっぱなしぶり。どんなにアナログと言われようとやはり電話して話をする以上に手っ取り早いことはない。

とにかく時間がないのだ。

電話番号


そう。

電話番号がねえ、とにかく分からない。向こう側からすると客相手に電話番号が分からないように敢えてしている感すらある。いちいち時間を取られる電話の対応に人を割いてられないみたいな。

しかし、こういう緊急事態だからメールないしチャットで用件を送ってしばし待つような余裕もなく、スマホで検索して電話番号を探し出し、電話する。しかしどこもお問い合わせが殺到しているようで下手すると30分近く待たされることもしばしば。

ガスは、ちょうど郵便受けにガス料金のお知らせが入っており、お問い合わせの電話番号とお客様番号が分かったので非常に連絡がスムーズだった。

しかし、そのほかの書類は見つからず。電気料金のお知らせに水道料金のお知らせがどこかにないかアレコレ探すけどまったく出てこない。

我が親ながら本当にだらしねえなあ。と思う。

毎月のやつを全部取っとけとは言わないけども最新のやつぐらい取っておいてもいいと思うんだよ。

「どこにあるんだよオヤジさんよう」

シーンとした部屋に割と大き目な声でつぶやく。


マンガとかドラマみたいな創作の世界であれば、こういうときにヒラリと、全然さりげなくなく探していた料金のお知らせが目の前に落ちてきたりするんだろうけど、これは現実の世界であり、そういう奇跡体験アンビリバボー的なことは起こらない。悲しいけど現実の世界ってこんなもんだよな。

まあ、息を引き取る瞬間に虫の知らせが来るとか、夢枕に立つとか、そんなことも全然なかったからなあ。


そんなことを考えつつ作業し、ある程度、解約やら手続きの連絡がひと段落ついたところで、遺品・・・という言い方もまだまだ自分の中で全然しっくりこないけど、荷物を片付けたり、まとめたりする。

1週間ちょい前にここで俺は父と会って1、2時間ぐらい喋っていたのだ。

そんな思いと、1週間ちょい前まで確かにここには「生活」というものがあって、遺体と直面する病院の時よりもある意味グッとくるものがある。

「一寸先は闇」って言葉あるけどさあ、昔の人はエライねえ。本当にその通りだもの 。

ほんのつい1週間前、父の住んでる家に行くと少し体調が悪そうだったので

「病院連れて行こうか?」
「いや大丈夫だから。土曜だから病院だってやってないよ」
「そうか。じゃあ月曜になったら必ず病院に行くんだよ」
「うん、分かったよ」

というようなやり取りを経て、そして月曜朝に倒れて病院に搬送、一旦回復してからの・・・だった。


果たして俺はあの時に父親を引きずってでも病院に連れて行くべきだったのだろうか。

月曜じゃなくて土曜に病院に連れて行ったらどうなっていただろうか。

俺には一体何が正しくて何が間違っていたのかまったく分からない。

そして恐らく一生かかっても答えなんて出ないのだろうと思う。いや、答えなんて最初っから存在しないのかも知れない。


親を亡くしてみて思うのは、

親の『大丈夫』は絶対に信用するな、ということ



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