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猫の水と歴史

我が家のくろねこ。


お水をあげる「おみず係」は、幼稚園児の次女。
あるとき、お水をやり忘れていて、帰ったらお皿がからっぽだったことに気づいた。
お水をお皿に満たすと、くろねこは飛んできてがぶがぶと飲み、ほっとしたようだった。


ーーいのちの水。

まさに猫にとって、この水はいのちの水。

だけど、よく考えたら人間もなのだ。

日本は水に恵まれているけど、世界では水が足りない国が増えつつある。
農作物がとれなくなる塩害だって増えている。
水の貴重な地域が一生懸命(場合によっては、南米のアボカド農家のように自分たちの生活を犠牲にしてまで)作ってくれた食べ物は日本にたくさんやってきているし、たくさん、捨てられてもいる。


東日本大震災のとき、わたしは秋田にいて、家などへの被害はなかったが、地震発生後から断水や停電が1~2日続いていた。
雪を溶かして、トイレなどに使えた。それだけでも有り難かった。
水が復活して、お風呂に入った。
普通に水がでること、お湯まで出ることの希有さを感じた。いつもならシャワーで流すところを、流れていく水がすごく貴重に思えて、湯船のお湯を思わず大切に使ったことを覚えている。


わたしたちは、日常の貴重さを簡単に忘れてしまう。
電気、水道、ガス、交通、遠方から荷物が届くこと、スーパーにいけばなんでもそろっていること、トイレットペーパーひとつとっても、作ってくれる人、運んでくれる人、店に並べて適正価格で売ってくれる人・・・

これらすべてが先人たちの積み重ね、試行錯誤の結果。
つまりは歴史。

例えば、
・お金のない時代。釣り人が魚を釣って、槍と交換したくても、相手が魚嫌いだったら交換できない・・どうする?

・極寒のなか、暖房がない竪穴住居の冷たい土の上で寝られる?

・夜中に強盗におそわれて、食料が盗まれたり、殺されたりする村で、暮らしていける?

・米を作っても作っても、領主に半分もっていかれて、家族はお腹ペコペコ・・生きていける?

・偉い人の悪口言っただけで処刑される社会ってどう?

・遠方から歩いて年貢を都まで届けなければいけない仕事やりたい?

・うじが湧いたクッキーしかない船の上で何日も航海できる?

・生け贄になりたい?


もちろん、その土地や時代の価値観って全然違うから、もし自分がその時代にその場所で生まれていたら、まぁそれに合わせて生きざるを得ないだろうとは思う。

だけど、歴史を学べば学ぶほど、なんて現代社会は幸せなんだろう!って思ってしまうんだよね。
もちろん、いつの時代にもいい面と悪い面があるし、どの時代も否定はしない。むしろどの時代の人類もすごくがんばってたんだな・・ってねぎらうような気持ちになる。


そして世界は変わっていく。とどまることはない。
望む、望まざるに関わらず、大きな流れのなかをいく。
なるべくなら翻弄されたくはないけどね。


せっかく今この時代に生きてるんだから、ぬくぬく暖房や言論の自由、ボケっとしてても殺されない、素晴らしいインフラなどにありがたやと思いながら、過度に不安を抱えないように注意しながら、今日も生きているのであります。


ちなみに、喉が渇いたくろねこは、窓ガラスの結露をなめていましたとさ。(ごめん!!笑)

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