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一般人でも「亡くなった人」「生きている人」の記事の重みが違うのはなぜ?

こんにちは。翔です。

今日はふと疑問に思ったことをネタにして書いていこうと思います。

一般人の方でも、「亡くなった人」「生きている人」
文章の重みが違うことがありませんか?

例えば、ニュースで
「昨日亡くなった○○さんのブログには~。」と書かれており、、、
という感じでアナウンサーの方が発言し、
SNSなどで広がり、多くの方にその文章は読まれることになります。

もし、その方が「生きていれば」誰からも読まれることはなく、
奥底に眠っていることになるでしょう。


亡くなった人の言葉は深い⁉⁉

「死んだおばあちゃんがこうしろって言ってた。」
これは僕が小さい頃から友達と遊んでいた時に聞いたことがあります。

正直、当時は「だから?」としか思っていなかったのですが、
亡くなった人の説得力は大きいんですね。

特に思うことは、
「自殺」をした人がSNSなどで書き残した最後の文章は
ニュースでも大きく取り上げられます。

確かに、深い。と思いますが、

自殺志願者でもなく、ただの病みツイートで、
自殺志願者と全く同じ分を書き残してた場合、
おそらく、だれも見向きしないでしょう。

自殺しているから最後の文が「深い。」と第三者に思わせており、
生きている人が全く同じ言葉を書いても
誰も注目はしてくれません。

そこが難しいところなんですよね。

ぼくみたいな一般人が注目浴びて、いろいろな人に文を見てもらえるには
読んでる側にメリットがある情報発信するべきなのでしょう。

注目を浴びてみたいな。



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