初めて精神科に行った話
自分のメンタルもやばい!けど精神科に行ったらどんなことが起こるの?行くべき基準はあるの?って方流し読みしてください。
話の前に、医者にかかってきた私本人の情報から書きます。
大学までは人間関係に恵まれ、受験失敗や部活動での人権侵害的な目にあった以外は特に大きな落ち込みもなく育ってきました。強いて言うなら、父母がめちゃめちゃ人間がしっかりしたタイプの人で、とにかく我慢強く、私が落ち込んだ素振りを見せてもガンガンに詰めてきた。のだけが少し引っかかる育ち方だった。ここあとでテストにでます。
そんなこんなで愉快な性格で知られる私は晴れて社会人になり、見事に洗礼をくらった。真面目に仕事している姿勢は認められるが、もともとの詰めの甘さや不器用さで、仕事ができるとは評価されなかった。その代わり場の空気をめちゃめちゃ読んで動いてしまうので、意地の悪い人には仕事のミスを押し付けられることも少なくなかった。
学生時代もアルバイトはあったが、本分は学業なのでのめりこむことはなかった。しかし社会人になると仕事が本分になりがちであり、そこでチクチクと人間関係のストレスが溜まっていき、疲弊していった。最終的に退職してしまったが、当時の周囲は私の判断を後押ししてくれた。本来の性格を損ない、重苦しい胸のつかえがあるなら、その環境は肌に合わないのである。
退職までの一連の苦労は私の心に大きなストレス穴をあけた。
しかし当時、退職間際に恋人ができていた。その人に大切にしてもらえたことがきっかけで、反対にずさんな人間関係に身を置いていることがわかり、退職に踏み切ることができた。私が退職できたのはその人のおかげである。その後も付き合いは続いたが、やがて自分の性格の醜い部分が徐々に出てしまい、最終的には向こうから別れを告げられた。
私の心のストレス穴にめいっぱいの悲しみがつまった感じがした。いままでその穴を恋人と過ごすことで埋めていたのに、当時は空っぽどころか私は悲しみを詰め込んだ。そんな誰かに癒してもらう前提で行動していた浅はかさも、別れの原因だったに違いないのに、食事もできず、布団に入っても眠れない日々が続いた。
夜中に赤ん坊のように絶叫して泣いたり、友達と渋谷で遊んでいる最中に涙が止まらなくなったりした。自分のことがコントロールできなくなり、自信をさらに失っていった。
結論から言うと失恋の痛みは傷が癒し、ストレス穴は現在の仕事の悩みが徐々に詰め込まれていった。前回、前々回との記事でも触れたが、私が勤める会社は給料の未払いがあり、そのくせ残業を強制している昭和(笑)会社である。
自分なりにがんばって仕事をしていたが、ある日突然決壊した。
ある日私はいつものように残業し、提出書類を上司に渡してそこで帰ろうと思っていた。書類を受け取った上司は私の仕事ぶりを見て「こういう仕事は定時後でいいよね。雑用だし」といった。
私は、本当にたったその一言で爆発してしまった。表情はマスクでうまく隠れたかもしれないが、人の顔色を窺って仕事をした結果がこれだ。「ごめんね~残業させちゃって」くらいの態度とれんのか。残業して当たり前の人間はここまで腐っているのかと驚いた。ぶっちゃけ上司がいう雑用なんて残るためにだらだらやっているにすぎないし、こんなふざけた仕事の仕方をして、評価されるわけでもなく、今後転職するにしても何も残らないことが容易に分かった。労基に行くためにもう少し働こう、上司がおいつめられる姿を見て、せいせいしてからやめようと思ったがそれすらも自分の若さが惜しくて悲しくなった。
つづきはまだあった。この感情を上司と同世代の両親に打ち明けたところ、この二人がまた私をいなした。そんな人はどこにでもいる。こんなところでくじけたらまた同じ目にあったときにくじける。昔も駄々こねたときにそんなこと言われたなと思った。でもその日の私の精神状態は限界だった。
がんばったのに報われない、モラハラに近い扱いであり、自分を守らなければならない気持ちでいっぱいだった。
私は転職時に空けた大きなストレス穴と、失恋したときに悲しみに挟まれて、真っ暗になった心地がした。真っ暗なのだ。転職時と失恋のときは、周囲に私の話を聞いてくれて、痛みを感じ、共感してもらうことで立ち直れた。今回は完全に自立しなければならない。周囲の人間に立たせてもらっていた状況から脱しないと、この先も誰かに支えてもらわないといけない人間のままである。
今、これを書いている段階では落ち着きを取り戻しているので、両親の言葉はそんなエールに聞こえるが、当時は冷酷無慈悲野郎としか思えなかった。何より身近な存在に突き放されたように感じて、悲しかった。もう誰も相談できる人はいない、仕事はやめたい、でも辞めたら両親にとがめられそう、家を出るしかない、でも今でさえめそめそしているのにまた新生活できる気がしない、雑用と言われつつもワンマンポジションなので退職を切り出すのが怖い。
そんな考えを巡らせているうちに、日付前に布団に入ったが、気づけば朝になっていた。もともと頭痛が続いているのと、眠れず一晩中頭を使い倒して体中が暑かったのと、上司への腹いせとが重なり、その日は体調不良を理由に半休をもらうことにした。(自分でいうのもなんだが、くそ真面目人間なので、いきなり休むと停止してしまう業務がいくつかある為、責任感で午後は出社することにした。)
長くなったがそんなわけで精神科に行くことにした。
興奮状態で呼吸も乱れ、かなり危ないと思ったので、もう病院にかかっちゃおみたいなノリで。
ちなみに今までも何度か精神科や心療内科に行こうとは思っていた。自分はおそらく人より繊細で、生きづらい。言われたことやされたことを受け止めてしまって傷つく。傷ついたことを人に話すと、そんなに気にすることじゃないと言われ、また気にする。以前の転職の際も、失恋の際も話を聞いてくれた50代女性の友人は「いまみたいな状況が続くとうつになるから遊びに行こう」という言葉が心配で忘れられなかった。
前回2回の大きなストレスに襲われたときは、発散したり、話を受け止めてくれる人のおかげで持ちこたえたが、今回はそうはいかなかった。頭痛と不眠、動機と呼吸が苦しいことなど、明らかに体に影響が出たので、この基準なら病院にいってもいいだろうと思えた。
もう一つ今まで病院に行かなかった理由のひとつに、予約のとりにくさがあった。想像はつくがこういった科はおそらく患者が多く、診察にも時間がかかりそうなので、調べていた病院はほぼ完全予約制であった。私は気分の移り変わりも激しく、たいていの落ち込みも数日で少し和らぐ。長期的にはマイナスな感情だが、合間のプラス感情のときに診察してもらっても、プラス感情の自分なら「ん~大丈夫かもしれないです」なんて言って終わってしまう気がした。数日たって落ち着く心情ならがんばろうと鼓舞していた。
眠れなかった夜の間に近くの病院を調べ、電話もなにもせず病院へ向かった。(そもそも電話がつながらないのもあるが、話をするのも苦しいくらい息がしづらかった)受付で保険証を出して「初診です。精神科です」とだけ伝えた。ネイティブか?ってくらい日本語がでなかったが、精神科希望なのと、不眠で顔つきがやばかったのだろう。受付の方が丁寧に応対してくださった。
当院は完全予約制ですが、いま朝一の時間帯なので、先生に相談してみますね。
受付の方が席をはずし、これでだめだったらあと数時間の半休をどうしようか考えていると、一人の女性が現れた。
相談員と呼ばれるその女性に通していただき、カウンセリングルームで話した。
主な症状(不眠・頭痛・息苦しさ・涙がコントロールできないこと)
既往歴や個人情報(職歴や学歴、育った環境の印象)
家族関係
など、割と踏み込んだ話をしていた。特にほあ~これは精神科きたな!と思ったのが、育ちと家族関係をめちゃめちゃ掘り下げられた点である。
相談員さんは私の話を猛スピードで用紙に書き込んでいくのだが、その二つの記入欄だけべらぼうに広かった。
いじめはあった?両親はどんな性格?親族に依存症の人や精神疾患のある人はいる?今までのストレスにはどう対処した?周りはその時どうだった?
相談員さんと話しているうちに、来てよかったと思えたことがあった。自分の置かれている状況を項目的に述べるだけで、自分が本当は何に落ち込んでいるか原因がわかってきた。この場合は両親との関係だった。もちろん仕事をやめてしまえば根本的な解決にはなるが、両親が今回私とどう接したかをはなしているうちに、「ストレスに対処できない自分への同居家族の反応」がいちばん怖いことがわかってきた。我慢強くないと私を叱る両親でした、と話すうちに、それでもここまで足を運んでいる時点で、自分がストレス対処に踏み出せていることがわかってきた。
相談員さんはその後基本的な治療方針を説明してくれた。投薬中心で、医者と相談しながら、体に合う薬を服用しつつ、原因にアプローチしていくこと。カウンセリングでの治療も開いているが、今は席が埋まっており、お断りさせていただいていることまで丁寧に話してくださった。
もともと日常生活は送りたいと思っていたので(労基へ行く証拠集めのために)その治療方針で全く異存はなかった。
その後相談員さんがメモをデータ化し、先生に渡して診察になる流れとなった。
精神科医とはどんな人なのか。
私が精神科に行くのを先延ばしにしていた理由がもうひとつあった。それは自分の状態を訴えたときに、先生に「それは病気でもなんでもない、乗り越えられる出来事にすぎない」と一蹴されることが怖かった。がんばっていて心がぽきっと折れてしまった感覚なのに、もっとがんばれと励まされても逆効果である。人一倍繊細でくそ真面目人間で申し訳ないが、もう十分がんばったよと、お墨付きをもらえるだけで段違いである。じゃあ自分で自分を褒めたら?くそ真面目すぎてそれもできないし、繊細で他者依存的だから満たせないんだなこれが。
あらかじめ相談員さんから話をされていたが、先生は男性だった。診察室にいたのは、白髪だらけだけど、少しふくよかなせいか、初老くらいの年齢に見える先生だった。
「どうぞ、座ってください」
予約もせずすべりこんできたのに、この先生も嫌な対応など全くされなかった。優しい語り口調で、パソコンに目を向けながら私に話しかけた。
「上司が合わないの?」
「家族に聞いてもらえなかったの?」
ここが診察室じゃなかったら幼稚園なんじゃないかと思うくらい、優しく聞いてくださった。病院にかかるほどじゃないよな・・・と半ば自分の甘さにまた嫌気がさしてきたころに先生が言った。
「辛かったね、休んじゃおっか」
先生は笑顔だった。私が想像していたお叱りムード精神科のイメージと真逆と言っていいほどだった。こんなに言ってもらいたい言葉が聞ける場所だったなら、もっと早く受診すればよかった。先生は次の診察(2週間後)まで休める診断書を書こうと言ってくださった。休める、休んでいい、と言ってもらえた瞬間、私の心にゆとりが生まれたのがはっきりとわかった。先生の優しい雰囲気なら、今まで気になっていたことも話すことができた。
先生、私は病気なんですか?こういった悩みで病院に来るほどなんですか?
私のメンタルが弱いんですか?
いや自分のことやろ自分でわかれよ、と思うことだが、他者依存なので聞かずにいられなかった。
「病気かどうかの判断は『困っているかどうか』『日常生活が送れているかどうか』でみている」
「日常生活に支障をきたすなら、診断書を書いて原因から遠ざける、投薬で症状を和らげる。骨折や出血は見えるけど、あなたの気持ちは見えないから、そこは医者の権限で治療します」
「あなたの悩みや心に異常はない」
「涙がコントロールできなくても、落ち込まなくていい。泣くことが悪いことなんてどこにもそう書いてない。職場でも、両親の前でも、涙は抑えなくていい」
両親との会話で決壊して症状が出たが、原因は職場の人間関係にある。眠れない間、何を考えていたか聞かれ、「上司に退職を伝えるフレーズを考えていました」と話した。
「やめちゃおっか!」
先生は満面の笑みで言った。私はその瞬間涙があふれて止まらなくなった。全くの初対面でもこんなに安心するなんて驚きだった。涙と一緒に胸のつかえも少し軽くなった。
「ここに入る人みんな泣いてるから、泣いていいよ」
きっと私の症例は、精神科の先生から見たらちょろい案件な気がする。ありふれたことだし、原因もはっきりしている。
診断書をもらってまで休むのは気が引けてしまい、お断りした。先生の話としては、母親にここに来てもらうこと、診断書で仕事を休むことがいちばん効くそうだ。自分にどんな診断がついているかは分からないが、おそらく躁鬱予備軍ではあるので、薬で身体症状をやわらげたら、また気分の上げ下げの波に合わせて生きていこうと思う。
先生は何度か「死にたいと思うか」とも聞いてくださった。常になのか突発的になのか。私は具体的にこうやって死にたいとか、死んでもいいやとは思うことはない。けれど、励まされれば励まされるほど、「みんなできることをできない自分は食事を食べる資格がない、幸せに生きる資格はない」と落ち込んでしまっていた。そのワードは念押しで聞かれたので、ひとつのキーポイントになるのだと思う。
以上が私の初精神科受診の流れである。
受付の方、相談員さん、精神科の先生、処方箋を渡した薬剤師さん、本当に全員優しかったことがとてもうれしかった。
ここまで気持ちが落ちて本当にまいってしまい、今回初めて精神科を受診したが、運に恵まれ、行ってよかったと思えた。診断書はもらわず、安定剤と眠剤をもらったので、再診まで気持ちに無理せず、一人の時間をつくっていきたい。
読まなくていいオチです。
その後職場に行った際、私がいなくて仕事が全く進まなかったことを伝えられ、少しせいせいした。同時に自分の仕事が重要なことも念を押されたが、発熱と言って半休をもらったため、感染症の疑いで翌日以降も半休出勤となった。たしかに胸の動悸や興奮状態で発熱並みに体は熱かったが、不幸中の幸いなのか仕事は少しスローペースになった。というか自分の仕事は重要だけど半休程度で最低限やっていけるなら、本当に残業が無駄だな。早くそのからくりに気づこうか上層部うんこ達よ。