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【マラソン・自転車等の「公道スポーツイベント」はなぜ再開が難しいのか?2020年11月時点の考察】

ルーツ・スポーツ・ジャパン代表の中島祥元(なかしまよしもと)と申します。主に自転車(サイクリング)やランニングなどの「公道スポーツ」を活用して、全国にDOスポーツの機会を創り、そして各地の地域活性化にも貢献するということを事業として展開しています。スポーツと観光を掛け合わせた「スポーツツーリズム」という言葉もありますが、その領域です。

このnoteは2020年11月下旬に書いていますが、今年は新型コロナウイルス感染症の影響で、日本のスポーツ界も大きな打撃を受けました。しかし、とはいえプロ野球やJリーグ、Bリーグなどの観戦型プロスポーツは比較的早い段階で再開の動きがあり、人数制限などはあるにせよ、ここまでシーズンを進められています。

一方で、市民マラソンなど「一般公道規制型の市民スポーツイベント」は中々再開のめどがたっていないのが現状(再開の動きはありますが、観戦型プロスポーツに比べると遅いという意味)。今回は「マラソンや自転車などの公道スポーツイベントは、なぜ再開が難しいのか?」について自分なりの考察を書いてみたいと思います。

僕のこの分野での経歴を書いておくと、2004年頃から15年に渡り従事しており、ざっくり数えてみて自転車レースやサイクリングイベントで、のべ200~300大会ほど(15年×平均15~20大会)、ランニングイベントではのべ60~80大会ほど(15年×平均4~6大会)は関わっていると思われます。最近は特に自転車の比率が高くなっていますが、ランニングイベントも毎年、主催・運営共に関わっています。「市民参加型」が多く、一部「プロなどのトップカテゴリー(観戦型)」も経験しています。

何が言いたいかというと、「公道を使ったスポーツイベント」のオーガナイズ経験がそれなりにある人間が書いている文章であるということ。日本全国の自治体や警察と関わりを持っているので、ある程度汎用的な経験であるとも思う。ただしもちろん「全て」を把握しているわけではなく、偏りはあるでしょう。あくまでも「一つの見解」として読んでみて下さい。

1.現在の状況

まず現在の状況。2020年3月の「東京マラソン」の一般枠中止発表以来、国内の多くの「公道スポーツイベント」が中止になってしまったのはご存じの通り。細かくは触れませんが、現時点においても多くの大会が開催中止を選んでいる状況に「大勢」としては変わりはありません。

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最新情報は、以下のスポーツイベントのエントリーサイトから見ることが出来ます。

■RUNNET(開催中止・開催延期が決定したRUNNET取扱大会一覧【速報】)
ランニング業界最大手のエントリーサイト。

■スポーツエントリー(スポーツイベント中止速報)
自転車・サイクリングのエントリーでは業界最大手。

2020年11月の時点で、2021年4月頃まで、既に中止を決めている大会もあります(随時更新されるページ)。

また、弊社ルーツ・スポーツ・ジャパンが直面した状況については、以前書きました。
↓全くイベントが開催できなかった7月までの話。

↓8月に、コロナ禍になって初のイベントを開催することが出来たという話。

その後もいくつかのイベントは開催してきていますが、特に地方で行う大規模なものについては、まだまだ予断を許さない状況。今はちょうど来春~夏のイベントについての協議を各地でしているところですが、地域によっては、来年も今年同様に開催できないところはありそうです。

2.「公道スポーツイベント」が再開しづらい理由
-①:公道規制には自治体が主催・共催に入ることが必要

経験上「公道を使用するスポーツイベント」がコロナ禍において再開しづらい理由というのは、結局のところ次の2つの要因に収斂するのではないかと考えています。

-①:公道規制には自治体が主催・共催に入ることが必要
-②:公道規制には地域住民の合意形成が必要

の2つ。↓はあるウェビナーで使ったスライド。

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まず一つ目。基本的な前提として、マラソンや自転車レースなどの公道規制型のスポーツイベントは、開催地の地方自治体が「主催」または「共催」に入ることが必要なケースが多いです(全てではなく、規模にもよりますが)。「後援」などではダメで「主催or共催」が必要。そうでないと、開催地の警察が道路使用の許可を出さない。ちなみに弊社の場合は、多くの事業で地方自治体との「共同主催」という形式を取っています。

そうなるとどうなるか。当然全ての判断が、「主催者」である当該自治体の方針・規則の縛りを受けることになってきます。そして一般論として、地方自治体は、基本的には不要なリスクをとって開催へ踏み切るという選択肢は取りません。そしてそれは感染症対策という「市民の命や健康」に関わる問題において、自治体の判断としてはある意味当然のこと。組織としての構造・社会で果たすべき機能上の問題であって、誰かが悪いわけではない。

地方自治体の職員の皆さん個々人は「なんとかして開催したい」と考え、実際に動いてくれる人も多いです。でも結局は、地方自治体の果たすべき機能や責任、組織構造上、中々「リスクを取って開催に踏み切る」という判断にはなりにくい。政府が示してくれた「イベント開催のガイドライン」よりもさらに安全マージンを取った判断をされることが多かったように思います。

3.「公道スポーツイベント」が再開しづらい理由
-②:公道規制には地域住民の合意形成が必要

次に2つめ。「公道」を規制して開催するには地域住民「全員」の合意形成が前提となるが、現在は難しい状況ということも大きなポイント。この点は特に、スタジアムやアリーナなど「施設型スポーツイベント」とは大きく異なる点と考えられます。

「公道スポーツ」とはつまり、「国民の公共財である“道路”を、その日一日だけお借りして、使わせていただくもの」。その道路を普段の生活で使用している地域住民の皆さんの合意がないと、そもそも使用することが出来ません。

歴史が古い大会ではプロセスが簡略化されていますが、新規の大会を立ち上げる際には、実際に道路規制に干渉する家々を一軒ずつ回ったりもします。過去の弊社の事例で、1周5kmの道路規制をかけるのに、数百軒のお宅を全て直接訪問したこともあります。

このコロナ禍において、スタジアムやアリーナなどの「施設」に人が集まるのならばまだしも、「自分の家の前」や「我が町の中」を不特定多数の人間が走ることを嫌う人がいらっしゃることは理解できます。そしてそういう声が一人でも上がると、難しくなる。

またこの点については、従来から公道規制について一部住民の皆さんから批判の声があった地域もあり、それが顕在化してしまったという一面もあるように思います。そして当然のことながら、「地方自治体」が主催ですので、地域住民の声を無視するわけにはいきません。

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4.「公道スポーツイベント」が再開しづらい理由(その他)

他にもいくつか。あまり表には出てこないことも。

■競技中・更衣室などの実際的な「感染症リスク」問題
いわゆる「物理的な感染リスク対策」ですね。公道なんで一般のお客さんの観戦をコントロールできないとか、更衣室が密になりやすいとか。ただしこの部分については、「じゃあテーマパークや商店街等はどうなるのか」等の反論も出てきますし、更衣室などについても、ガイドラインを守った上での物理的な対策は出来なくはない。

選手の数を減らし、ウェーブスタートにして間隔をあけるなど「密」を回避する方法もあるにはあるし、実際にそのようにして開催している大会も、数は少ないですがあります。「物理的な感染リスク対策」はもちろん最も大切な観点の一つですが、「再開できない理由」はそれだけではないという印象です。

■「スタッフィング」の問題
マラソン等公道スポーツの多くは、多くの「市民ボランティア」によって支えられています。参加人数1,000人の大会を開催するのに300人のボランティアが必要だったりする。そしてボランティアさんの中には高齢な方も多い。我々の大会でも実際に、「今はやりたくない」という声もありました。万が一感染してしまった場合の責任問題など、ボランティマネジメントについても難しい局面にあります。ボランティアをなくし民間の警備員手配とすると、当然ながら経費は増えます。


↓例えば大阪マラソンでは「10,000人」のボランティアを募集。

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■収支リスク
この問題が実は非常に大きく、またここでも「自治体主催」が絡んできます。様々な問題をクリアできたとしても、協賛金の減少、参加料収入が読めない(減るであろう)など、収支リスクの面から開催を躊躇するケースも多いように思います。コロナ対策のためには経費も増える。

また我々のような民間事業者には、次の機会に繋げるために「(今回は)赤字覚悟でも開催する」という選択肢もあるけれど、単年度予算で動く地方自治体は、今年赤字になるリスクのある事業は前に進めにくいといった事情もあったりします。

実はこのあたりの様々な理由・事情も含みながらも、発表時には「感染症の影響で~、参加者の皆様の健康と安全を第一に考え~、苦渋の判断で~、中止にします」という表現を選んでいる大会も多いのではと推測します。我々も当初そうしていました。

5.そもそも論 なぜマラソン大会は公道を占有できるのか?

少し視点を変えます。先日「そもそもなんでマラソンは公道規制できるのか?」というツイートを見かけました。確かに「なぜ再開できないのか」の前に「そもそもなんでできてたんだっけ?」を考える必要がある。

結論を先に言うと、それは元々の成り立ち・目的が「市民の健康増進」であったからではないかと考えます。多くの「市民マラソン」の”起こり”は、体育(学校教育)の延長線上にある市民の「健康・体力作り」にあり、市民に公平に提供される公益的な機会でした


だから歴史の古い大会は今でも行政の「教育委員会」が担当しているものも多い。それが近年(特に2007年東京マラソン以降)は「地域活性化」文脈も着目されるようになり、「外からの誘客ツール」としての側面も強くなってきたという流れがあります。この場合「開催地への経済効果」が実証できれば「公益」ということになります。

いずれにしても、国民・市民の公共財である「公道」を規制して占有するためには、要するに「”みんな”にとって良いことだよね」という公益性が求められる。実際にはもう少し複雑ですが、原理原則としては。

そしてそれらの社会的「公益性」を担保しながら、先人達(僕らより上の世代のスポーツオーガナイザー、そしてランナー、サイクリストの皆さん)が、近年のマラソン・ブームとも言われる日本の「公道スポーツイベント」文化を育ててきてくれた。そういうことだと理解しています。

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6.「公道スポーツイベント」の未来を語るには、その事業の果たすべき「目的」と「存在意義」を改めて整理する必要がある

ここまで、コロナ禍においてマラソンや自転車などの「公道スポーツイベント」が、なぜ再開が難しいのか、そしてそもそも、どうして公道規制が成り立っていたのか?について考察してきました。

コロナで中々イベントが再開できない状況の今、マラソン・自転車などの「公道スポーツイベント」の未来を語るには、その事業の果たすべき「目的」と社会における「存在意義」を改めて整理する必要があるように感じます。「競技種目」でくくると言うよりは「事業」によって異なる。「なんのためにやるのか?」

「市民の健康増進」が主目的なら、現代においては(コロナがなくても)「公道規制」にはそぐわないという論調も出てくるかもしれない。「地域活性化」文脈でも、一度に大勢集まって公道規制をかける必要はあるのか?という問いも出てきます。いずれにせよ「公道規制」するには、その事業で便益や幸せを得られるのが「みんな(参加者やスポーツ愛好家以外も含めたみんな)」でないといけない。

コロナ禍を経て僕たち(=公道スポーツを愛するものでありオーガナイザー)が考えるべきなのは、第一に「スポーツをする人たちの機会を創りたい・守りたい」ということ。もちろんそれが一番のベース。プレイヤーズ・ファースト。

でもきっとそれだけでは足りないのだと思う。同時に、それにより便益や幸せを得られる人の数と種類を(スポーツする人以外にも)いかに増やしていくか、という考え方が今後さらに必要になってくるのではないかと思います。

消滅可能性都市・島根県江津市で行われた、日本初の市街地型カーレース「A1市街地グランプリ」の記事。A1のAは「Anyone=誰もが」という意味だそうです。地域住民含め、全ての関与者に喜ばれることが必要な「公道レース」の要件を、見事に体現している理念。公道を使用させていただくことがある種“当たり前”になってしまっている、マラソン・自転車レース関係者も参考にすべき、素晴らしいチャレンジだと感じます。

今回のコロナ禍は、ある意味で言えば、自分たちも存在意義を見直すための絶好の機会です。この機会に、社会にとって真の意味で求められる「公道スポーツイベント」の在り方を考えていきたい。

そして、先人達が創り上げてきた日本の「公道スポーツイベント」の文化を、今を生きる僕たちの世代が継承し、次のカタチに進化させていきたい。心からそう思い、そして実際に「事業」として、新たなチャレンジを重ねていきます。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

*Twitterでは「スポーツツーリズム」「スポーツ×地域活性化」分野での日々の気づきや情報、またスポーツビジネス経営者としての日常等を発信しております。

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