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一人で山登りながら何考えてるんですか?

日曜日、次男の体操教室の見学をしながら書いています。少し仕事の話が続いたので、自分の趣味でもある登山の面白さについてまとめてみたいと思います。「趣味は山登りで、だいたい一人で登ります」と話すと時折「一人で山に登りながら何を考えているんですか」と聞かれるのですが、よく聞かれる割にあまり深く考えたことがなかったので整理してみました。

0.登山歴(言うほど大したことないです)

登山を語る前にどれくらいの登山をしてきたのかを簡単に書いておきます。気持ちは中級者ですが、夏山しか経験してないので頭でっかちの初級者という感じです。本格的に単独登山をするようになったのは社会人大学院を卒業した2014年(32歳)以降。

2014年(それまでに道具は一通り持っていたレベル)
南アルプスの荒川三山~赤石岳~聖岳の縦走(さわらじまロッジ出発、荒川小屋と聖平小屋泊)2泊3日

2015~2016年
茶臼岳(南アルプス)日帰り
仙丈ヶ岳(南アルプス)日帰り
北岳(南アルプス)日帰り
剱岳・早月尾根ルート(北アルプス)日帰り
富士山
(富士宮ルート)

2017年
石鎚山(四国)日帰り
三嶺~剣山縦走(四国)日帰り

ほとんど単独・軽装備のファーストハイク(トレランシューズ、20l以下の小さい荷物)です。日帰りとは書いてますが車中泊の前泊ありで、朝の4-5時スタートして9-10時頃に登頂して14-15時には下山しています。ここから質問に対する答えを考えていきますよ。

1.(まず答え)登山中は本当に山のことしか考えてないです。ただ、余計なことを考えないからこその感動があります。

だいたい登山中は山のことしか考えてないです。登って下りるまでの6〜10時間くらいのほとんどを「今日は息が上がるのが早いな」とか「コースタイムの50−60%目標なのに少しビハインドやな」「稜線に出て寒くなってきたから上着どうしようかな」とか本当にそればっかり。ただ無心で登っていると時々木々の間から見える景色が想像以上に高くなっていて、「あぁ自分はこんな高いところまで自分の足で登れるのか」とか「このしんどさと感動は、100年前・200年前に登った登山者や修験者とほとんど変わらないんじゃないか」と感慨深い気持ちになります。「山と自分」だけの世界に、時代なんてあまり関係なくなるような感覚になるのは好きな瞬間です。

2014年夏に南アルプスを縦走した時は仕事ですごく悩んでいたのですが、赤石岳~聖岳の縦走路で霧で視界が悪い中でクタクタになって「このまま歩くのを止めたら帰れないのだろうな」「帰るなら歩き続けるしかない」と自分に言い聞かせながら一歩一歩を踏み出していました。小雨の降る中、ちょっとした岩登りの岩にしがみついて朦朧とした中で頭に浮かんだことは「あんなにやるせない会社生活に、それでも自分は自分の意志で歩いて戻るんだな」「もっと自分の価値観で生きていきたい」という悔しい悔しい感情でした。正直、その言葉自体はなんかクサイし今となっては100%共感してる訳ではないのですが、考える力も残ってない中で頭に浮かんだ言葉はその後もすごく心に残っていて、その後仕事をなんとか好転させていくことができた原動力になったと思います。南アルプスの荒川三山〜聖岳コース(縦走路)は自分にとって仕事のどん底とリカバリの思い出がセットになった、特別な縦走路です。

2.登山開始から徐々に頭が空っぽになって五感が研ぎ澄まされていく過程がめっちゃ楽しいです。

何も考えないと言いつつ登山道に入ってすぐはまだ頭が切り替わっていないのですが、自分の場合は仕事のこと考えているとめっちゃ道を間違えたりつまづいたりします。地図をろくに見ず思い込みで小川をバシャバシャと渡ろうとして「どうもおかしい」と思って引き返したら全然登山道を外れていたり。また、2014年の南アルプス縦走の一日目では尻もちをついた時にストックとお尻で小指を挟んでしまい、右手小指第二関節が脱臼した(逆に曲がった)のですが、自分で小指を元に戻してテーピングで固めて「よし、冷静に応急処置できたぞ」と思ってそのまま登山道とは反れた崖を必死に降りていったりもしました。全然冷静ちがうやんと笑。同じような道迷いの経験はあと何回かあります。
幸い、「どうもおかしすぎる」と思ったらスマホでGPSを確認してるので大事には至っていませんが、道を間違えたり転んだりする度に「自分は普段どれだけ何も考えずに歩いたり『なんとなく』のアホな判断をしてるのか」と痛感します。で、そこからは目を皿にして足跡を探しながら登っていくのですが徐々に五感が研ぎ澄まされていくような感覚になるのがめっちゃ面白いです。
山を下りる時には五感で山を感じられていて、まるで仕事や日常生活が「仮の姿」みたいにも思えてきます。「ヒトは本来こんな大自然に囲まれて生きているのだから、広い世界のごく一部でしかない都会の、さらにごく一部の自分の仕事が少し上手くいかないくらいで何にも気にすることはないんだな」という感覚は、仕事に悩んで山に登った時にはすごく救われました。
ほとんど1つ目の話と同じ話してますね。

3.山を下りながら山行を振り返って、また次の山行の準備をするのもめっちゃ楽しいです(≒仮説と検証の繰り返しです)。

山道具の見直しに一番良いのは下山してすぐのタイミングだと聞いたことがあるのですが、下山中には既に反省モードになっていて「こんな不要な荷物持ってくるんじゃなかった」「次はあれ欲しい」みたいな思いが沸々とわいてくるので、下山してすぐに荷物を見直して次の山行に備えます。高価な山道具は決して必要ではなく安価なものでも工夫して軽量化して(ただしビバークを含めて最低限の危機管理はして)、次の山行計画を立てていくのは自分で仮説・検証するような作業の繰り返しにも似ていて、非常に面白いです。装備はそれなりに絞り込めて安定してきたと思っているのですが、今でも季節に合わせて火の燃料をどうするか(基本的に火力と重さのトレードオフ)とかシューズのクッションや防水性等、考えは尽きないなぁと。山を心から楽しんでいる時間としては、山行の準備している間が一番長いかもしれないですね。

4.終わりに

タイトルの質問に答えつつ、改めて自分が登山を好きな理由について書いてみると、無心で壮大な自然の中を何時間も歩き続けることで、素の自分に向き合えるところが好きなのだろう(というかそんな時間を自分が必要としているのだろう)と思います。ウルトラマラソンに出た人が「10時間の旅だった」とコメントしてるのを聞いたことがありますが、似た気持ちなのかなとかとも思います。あとは一人の自分として自然と向き合い、何者でもない無力な自分を思い知ることができるということも心のリセットとしては良い機会です。

今年の夏休みは親族の結婚式やボランティアへの参加のため登山はできなさそうなのですが、来年以降は北アルプスの雲ノ平、栂海新道の縦走にせっせと体力作りして行ってみたいと思います。子供達が小さいうちはデイキャンプくらいしか行けていないですが、そのうち子供達と歩いたりしてみたいなと思います。子供にも、人生の楽しみの一つとしての山登りをいつか教えてあげたいなと思います。

仕事そのものの振り返りではないですが、趣味としての登山も自分の重要な一部分だなと思いまとめておきました。エッセンスは登山以外にも共通することが多いと思うので、きっと社会人生活が長い方は皆さんそれぞれのリフレッシュ方法があるのでしょうね。また適宜修正していきます。

※以下の写真は2014年8月の南アルプス縦走時の、荒川岳方面から見た悪沢岳です。これから歩こうとしているこの絵画のような縦走路の景色を見てめっちゃ感動したのでした。

※本の紹介

◆孤高の人(上) https://www.amazon.co.jp/dp/B00C186HM4/ref=cm_sw_r_cp_apa_CkwEBbBA58R44

→山岳小説は本当にロマンがありますね。新田次郎さん大好きなのですが、最初に読んだ「孤高の人」にまずハマりました。山の気候の描写のディティールに富んだ表現力は、さすが気象庁ご出身だけあると思います。

◆定本 黒部の山賊 https://www.amazon.co.jp/dp/B00UY5I48Q/ref=cm_sw_r_cp_apa_QgwEBbKYTZ8P7

→今なお秘境と呼ばれる黒部最奥地で戦前か戦後に山小屋主人になった著者の随筆。山賊やマタギとの話あり、本当かわからないような幽霊の話あり、で内容も非常に面白く、また山小屋主人としての生活にめっちゃ憧れます。

◆ヤマケイ文庫 ドキュメント 道迷い遭難 https://www.amazon.co.jp/dp/B016NO4N9U/ref=cm_sw_r_cp_apa_hjwEBb1GVXN7H

→山に行きたいけど行けない時には山の本をよく読むのですが、このドキュメント遭難シリーズは遭難時の心の準備にめっちゃ役立ちます。おかしいと思ったらショートカットしようとせずすぐ引き返せ、自力で戻れないなら気長にただ助けを待て、等の教訓が実例をもとに突きつけられる本です。