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ChatGPTの文才とライティングのこれからについて考えてみた

ChatGPTは「文才」がある。これはChatGPTでしばらく遊んでみた結果の私なりの結論。もしかしたら、自分よりも文才があるかもしれない。

でも、その「文才」はライティングにおける人間の役割について深く考えるきっかけにもなると思う。

ライティングにおけるオリジナリティとは

ライティングにおけるオリジナリティの本質って何だろう?って考えた時にいろいろ切り口はあるはずで、例えば「文体」。

有名な作家さんたちはみんな独自の文体を持っていて、それが一つのブランドになっていると思う。

日本人作家の英語翻訳を読んで考えたこと

最近、この文体について考えさせられたのは日本人の作家さんの作品の英語訳を何冊か読んだ時。夏目漱石から小川洋子まで、ここ数年で読んだ洋書のうち、おそらく10冊くらいが日本語作家さんの小説の英語訳だ。

何より、日本の生活について書いている訳なので、英語圏の生活について書いた英語圏の作家の作品に比べれば、単純に内容において理解しやすい、ということもあるのだが、翻訳された英文というのは割とシンプルな英語になっていることが多いと感じた。

いろいろな意味でとても読みやすい、ということでいろいろ読んでみた中で、特に印象に残ったのは日本語ですでに読んだことのある作品を読んだ時。

例えば、夏目漱石の「こころ」、学生時代と大人になってからとおそらく二回くらいは日本語で読んでいるが、それでも英語の翻訳で読んだ時は本当に新鮮な発見があった。

英語版を読んでみて思ったのは、日本語で読んだ時に気づかなかった隠喩を作品のなかのあちらこちらに発見できたこと。「ああ、そうか、つまり、この場面をわざわざいれたのは、こういうことなのかもしれない」という発見。

英語に翻訳された小説というのは、小説から作家のトレードマークでもある文体を翻訳家独自の文体によってすりかえたものだ。

そこで、考えさせられたのは、英語でも引き込まれる内容なのは、翻訳家の英文が素晴らしいからか?それとも作家が作品に込めたメッセージの深さゆえなのか?ということだった。

文体の役割

そうして考えた時に、文体というのは決して疎かにしてよいものではないにしろ、結局のところ入口に過ぎないのではないか?ということだった。つまり、メッセージを飾るもの、あるいはメッセージに相応しい雰囲気や世界観を演出するためのもの。

一方で「文体のための文体」つまり、言葉のリズムで遊ぶことや、文体の新鮮さに挑戦すること、そうした「文体のための文体」が個人的には大好きだ。意味は分からないけど、読んでいるだけで心地の良い文章というのはたくさんある。

それでも、もしメッセージが薄弱であれば、それは「文体を楽しむ」のが文章を読むことの目的ある人たち以外には届かないものになってしまう。それはとてもニッチな需要である。

ChatGPTの文体、つまりスタイル

工夫次第で引き出せるChatGPTの「文才」

さて、前置きがかなり長くなったが、ChatGPTが作る文体はどうだろう?

可もなく不可もなく。といったところだろうか。プロンプトの投げ方次第でもある。

例えば、最近いろいろ実験をしていて、気に入った英文をChatGPTに翻訳してもらったりしている。その時に自分の好きな作家さんを指定して「〇〇さんの文体で」と指定すれば、それなりに雰囲気を寄せて訳してくれる。

そのチャットの流れで「もっと鬱屈した雰囲気で」とか「今度はもっと投げやりな感じで」と指定すると、翻訳自体の精度は落ちるけれども、文体としてはより人間らしい文体で翻訳を返してくれるのだ。

そして、中には自分では書こうと思っても絶対書けないような、文才あふれる文章もあった。

シンプルにいうとChatGPTにはそれなりに文才があるのだ。プロンプトを工夫すれば文体、つまりスタイルさえ、それなりのものを作ってくれてしまう。

ビジネスライティングにおいて求められる文体とは?

さて、ビジネス的な内容を書く時にどれほど文体にこだわるだろうか?

内容が内容だけに、文体はできるだけ沢山の人が「読みやすい」と感じる文体にしたいと思うはずだ。あるいは専門的な内容であれば、権威のある雰囲気を演出するための文体というのがある。

専門的な内容の文章はさておき、できるだけ多くの人が「読みやすい」と感じる文体にするときに、ChatGPTの文才で不足するということがどれほどあるだろうか、というのは、実はある意味とても恐ろしい質問ではないか、と思うのだ。

つまり「可もなく不可もなく」といったChatGPTの出力が逆にちょうどいい塩梅だ、ということが実は多いのではないか、ということだ。もちろん、出力結果をそのままというわけにもいかないので、細部は調整するかもしれないが、そのベースをこうも効率的に作り出せる機械というのはやはり恐ろしい発明なのだと思う。

ChatGPTのの思考、人間の思考

ChatGPTに任せられないもの

例えば、記事の企画書を投げればChatGPTは記事を作ってくれる。求められている専門性がそこまで高くなければ、文章はそれこそ「可もなく不可もなく」だ。情報を伝えるという意味では、クセのない文体であるという意味で、もしかしたら人間が書く文章よりも良いのかもしれない、と思うほどだ。

つまり、文章の出力自体は極論をいえば、ChatGPTでよい、というケースはどんどん増えていくのではないか?と感じるのである。

では、それでもChatGPTには任せられないものって何だろう。

それはやはりメッセージではないだろうか?

ちょうど、強いメッセージをもった小説を翻訳したところで、そのメッセージが明確であればあるほど、そのメッセージは決して失われることはない。むしろ、それが際立つことさえある。

ChatGPTの思考、人間の思考

メッセージとは人間が悩み、思考し、会話しながら作っていくもの。そして、人間の思考の一番面白いところは、必ずしも論理的ではないということだ。

「経験」から「意味」を引き出そうとする、それが人間の思考だとするなら、膨大な「意味」をかき集めた上で、そこから文章という「経験」を出力するのがChatGPTの「思考」。

つまり ChatGPT の誕生によって求められているのは思考の深さと感受性の豊かさだ。極端な話をするなら、そのようにして突き詰めて出てきた「メッセージ」を整理して箇条書きにして ChatGPT にあとはお任せしたとしても、それはそれで、骨のある文章になるのではないか、と。

これは仮説なので、いろいろ実験をしていきたいと思っている。

そして、ライティングのこれから

それでも、ひとつだけ確実なのは、ChatGPTによって書かれた文章は確実に増えているし、どんどん増えるということ。また自分も使う機会は増えていくだろうということ。

間違いなくChatGPTは筆記用具の一部になっていく。出力される文体もおそらく洗練されていくだろう。

そして、その時に問われるのは、結局は自分の思考の深さなのかもしれない。つまり、それなくしてはコンテンツのオリジナリティはあり得ないのではないか、と。

さて、ここまで書いてきて気づいたことがある。この記事で書いたこと。この記事のメッセージはどれほどオリジナリティがあるだろうか。

ChatGPTがChatGPTについて書かれた文章をネット上で収集した上で、文章のオリジナリティについて書かせたら、もしかしたら私が書いたこの文章よりもはるかに面白い文章になるのかもしれない、ということ。

こうして思考は循環を繰り返すのだった。

DX推進事業部 酒井志郎



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