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主役じゃないことを受け入れる (MC(喋り手)を目指すならその3)

あんまり色々と好き放題書いてると、

「これオレ(ワタシ)の悪口言われてる?」

って同業者に曲解されちゃうかな?とも考えましたが、

同業でかつ同じポジションの人とは意識的にあまり馴れあわないようにしているので嫌われてもまぁいいか(笑)

ということで、今回も乱暴な持論を。


脇役として生きていけるか?

自分の人生においては当然自分が主役です。自分や近しい人が一番大事なのは当たり前だとも思います。

ただ、MC,喋り手というポジションにおいては、主役になりえることは無いと思っておいた方がいい

テレビやラジオの番組ではゲストが主役だし、

スポーツの現場では選手が主役、

ナレーションでは紹介する商品などが主役、

イベントでは登壇する人やモノが主役、

主役をどう魅せるか、気持ちよく仕事をしてもらうために仕切るか。そこに主眼を置くことができるか。

自分を殺せ、とは言わないけど余計な自己顕示欲は一切消し去った方が良い。

ここを間違って捉えてしまうと、周りからも良く思われないし何より自分がツラいでしょう。

「いやだって音楽活動もしてたし」

「芸人としても活動してたからそっちの血が…」

マルチに活動してる人の中にはこう言う人もいるかもしれませんが、それはそっちのプラットフォームでやりましょう。キミの歌や芸を聴きにお金を払ってるお客やスポンサーじゃないので。

やや閉鎖的な身内ノリの小さな現場で色々好き勝手やる分には見てる世界が違うので何も言いません。結婚式の二次会ノリが好きな人もいればそれがウケる場合もあるでしょう。

ただ、いずれ数千、数万人を前にした現場、ネットや電波媒体であれば数十万、数百万人に声を届ける仕事をしたいのであればキャリアの最初から確実に意識しておいた方が良い。

どうしても何か自分を表現したい!って欲が収まらないのであればインスタライブでもYoutubeでもアカウント作って発信すればいいと思います。もしくは文章でこうやって好き放題書くとか。

仕事としてMC、喋り手を目指すのであれば、自分はアイドルやプロアスリートではないと認識すること。必要ない時に自分の話をしない。必要な時は滅多にない。

結果を出したいという気持ちから、なんとか爪痕を残そうとしてやらかしてしまう人を老若男女問わずたくさん見てきました。自分も失敗してきました。

出すべきではないところで自分を出す、という余計なことをしない方が次に繋がるはずです。


出役と裏方の間

もちろんMCはステージの上やお客さんの前で喋るのが仕事なので、「出役」やや目立つポジションでもあると言えるでしょう。

同時に、主役を引き立てる役回りでもあるので「裏方」とも言えるんじゃないかな、と。

出役の中の裏方、裏方の中の出役

少しファジーな言い方だけど、両方をフォローできたり、架け橋的な役割を担えるというやりがいは感じられるかも。

どちらの立場もある程度理解できているから、現場を俯瞰して見ることのできるポジションだとも思います。

現場の全体像を俯瞰できているからこそ、その現場が自分のMCも加わることによってバチっとハマって一体感が出た時には大きなやりがいを感じます。

そしてその一体感を得るためには、余計な自我を捨てることが不可欠

安西先生の名言にもありますね。

お前の為にチームがあるんじゃねえ、チームの為にお前がいるんだ!!

スラムダンクは今なお色々と教えてくれる。

成功に向かって役割を果たそうとする時に、我々は全体像で見るとサポート役、脇役に徹して遂行することが求められる。

この職業を目指すうえで、もしくはキャリアの早い段階でしっかりとそれが理解できていれば生き残る可能性は増すだろうし、「こんなはずじゃなかった…」って理想と現実の乖離に悩まされることも減るんじゃないかな。

自分の役割を理解して、そこにプライドを持って向き合っていけば、おのずと良い自己表現がなされていると思う。

「お前なぁんか勘違いしとりゃせんか?」

って現場とかSNSで安西先生に言われないようにね(笑)

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