老害ここにあり
自分も30代なかばになり立派なオッサンとして成長を遂げつつあります。
もちろん現状に甘んじることなく更にオッサンとしての高みを目指していく所存です。
ただオッサンにはなれど「老害」になるのはイヤで。
老害になるのがイヤというか、老害扱いされるのがイヤ。
老害扱いされるのがイヤ過ぎて、私なんかはもはや若者にアドバイスすること自体をやめてしまったクチです。
だから「そこの若者、今100万円落としたけど拾わなくて大丈夫?」レベルのアドバイスさえしません。
今はもう若者を見るたびに「こいつも俺を老害扱いしてるんじゃなかろうか」という疑心暗鬼に苛まれ、だれも信用できず一人部屋の隅に縮こまり歯を食いしばって耐える毎日です。
ここにはそういう若者はいないようなので、今日は全開の老害節で行こうと思います。
のっけからメチャクチャ決めつけますけど、今の若者の悩みって
・お金が無い
の一点に集約されるじゃないですか。
・お金が無い→働きたくない→フリーランス、ブロガーに
・お金が無い→ブログでも稼げない→支援してください
・お金が無い→けど欲しい→メルカリ→クソ値切る
・お金が無い→シェアハウス
これをもうちょい拗らせると
・お金が無い→お金はオワコン!これからは信用経済!
・お金が無い→それがどうした?お金がなくても幸せにはなれる!
になるわけで、全ての根源に「お金」があるというのは否定しようがない事実です。
いや、違うんですよ。
別にそういう人をdisりたいわけじゃないんです。
だからそんな目で見るのはやめて?
「やっぱりこいつも老害か」みたいな目で見るのはやめて!
老害ね、思うんだけど
「もし今、めちゃめちゃお金持ちだったら何する?」
っていう問いかけって結構大事だと思うのね。
もし今、めちゃめちゃお金持ちだったらシェアハウス住まないじゃん。
もし今、めちゃめちゃお金持ちだったらメルカリで値切らないじゃん。
もし今、めちゃめちゃお金持ちだったらポルカやんないじゃん。
もし今、めちゃめちゃお金があったなら。
そしたら本当の本当に「やりたいこと」、やってるはずじゃん?
お金の本質とか信用経済とか小難しく考える前に、
「もしお金があったら今、自分は何をやってるか」
という根源的な問いかけをする事が重要だと思うんよね。
もちろん、今すぐにその「やりたいこと」が出来る訳じゃないだろうよ。
でもさ、その「ほんとうにやりたいこと」を心にしっかり持っておくって事自体がめちゃめちゃ大事じゃん?
もしお金があったら、って何かイヤラシイなと思うかもしれないけど。
違うから。逆だから。
「お金があったら何するか」を考える時こそ、逆にお金に縛られずに自由な考えになってるはずなんだよ。
老害ね、思うんだけど。
今の若い人って、その「ほんとうにやりたいこと」が見えてなくて、
その一番重要な所が見えてないのに、ブログとかフリーランスとか生き方がどうとか、そういう方法論ばかりに囚われちゃってドツボにハマってるような気がするんだよね。
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