【小説】コロちゃんの毒の実

ヘレンは犬のコロちゃんと、森へ散歩に出かけていました。
すると、いきなりコロちゃんが、
「こっちから甘いにおいがする!」と言って走り始めました。
「待ってよ、コロちゃん!」
ヘレンはコロちゃんを追いかけました。

「はあ、はあ、はあ……」
ヘレンがコロちゃんにやっと追いつくと、コロちゃんは一本の木の前で、わんわんわんとほえ続けています。
そして、
「この木だ、この木の実から甘いにおいが漂ってきてたんだ」と言います。
ヘレンはそのみきの太い木を見上げました。
今まで何度も森に来ていますが、こんな大きな木がこんなところにあったとは。
木の枝には、握りこぶしくらいの大きさの、見たこともない黄色い実がなっています。
ヘレンはその不思議な実をひとつ手でもぎました。そして実に鼻を近づけて、くんくんとにおいを嗅いでみました。
蜂蜜に似たような、とても甘いにおいがします。
コロちゃんは、
「とてもおいしそうな実だ。さっそく食べちまおう。ひとつおいらにおくれ」
そう言ってまた、わんわんわんと吠えました。
「だめよ、コロちゃん。勝手に食べちゃだめって、ママに言われてるでしょ。ひょっとしたら毒が入ってるかもしれないんだから」
ちぇっ、とコロちゃんは舌打ちをしました。
「この実をいくつかもいで持って帰って、食べていいかどうか、ママに聞いてみましょう。食べられる実だったらいいね」
ヘレンは木から実をみっつもぎ取って、ふたつは左右の手に持って、もうひとつは頭の上に乗せて、家に帰ることにしました。

「まあ、何の実なんでしょう。こんなのは今まで見たことないわ!」
家に帰って、不思議な実をママに見せると、ママは驚いてそう言いました。
ママは実に鼻を近づけてにおいを嗅ぐと、
「たしかに、いいにおいがするわねえ。リンゴのようで、モモのようで。でも少し違う。いったい、何なんでしょう」
ヘレンはママにたずねます。
「ねえ、ママ。この不思議な実、食べてもいいの?」
「うーん……。ママもこんな実は初めて見たから、わからないわ。パパが帰ってきたら、聞いてみましょう」
夕方、パパがくわを担いで帰ってきました。
ヘレンは早速、不思議な実をパパに見せました。
「何だろう、これは。こんな実は今まで見たことない。森の木になってたのかい?」
ヘレンはうなづいて、
「コロちゃんが見つけたんだよ」と言いました。
「そうか、犬のコロちゃんは鼻がいいからな」
ちなみにコロちゃんは、いまだに実を食べられないので拗ねてしまっています。
「食べていいかどうか、食べてみればわかるじゃないか」などと言っているのです。
パパは、
「こりゃ食べられるものなのか、毒入りなのか、パパにもわからん。あしたの朝、村の名主なぬしさんのところに行って聞いてみよう。だから、まだ食べちゃだめだよ」と言いました。

翌朝、ヘレンとパパは、さっそく村の名主さんの家に行きました。
名主さんは歳を取ったおじいさんで、村一番の物知り博士です。
ヘレンは不思議な実を名主さんに手渡しました。
名主さんは老眼鏡のズレを指先で直しながら、
「何だ、これは。こんなものは見たことない。森にあったのかい?」と言いました。
ヘレンはうなずきました。
パパが名主さんに言います。
「はたして食べていいものかどうか……。わたしには判断しかねますので、名主さんに相談にまいったのです」
「なるほど、なるほど。しかし、わしもこんなものは見たことないから、軽々に『食べてもいいよ』などと言うことはできん。万が一のことがあったら、責任は負いきれん。わからん以上は、食べんほうが得策じゃろう」
「そうですか……」
ヘレンはとても残念に思いました。
「そうだ!」いきなり名主さんが言いました。
「どうしたんですか?」パパがたずねます。
「今日、街のお医者さんがうちに往診に来てくれることになっておる。もう間もなく来るじゃろう。お医者さんなら何か知っておるかもしれん。お医者さんに聞いてみよう!」
「それは名案だ!」パパが言いました。

そこに、
「おはようございます」
と言いながら、白衣を着て手にカバンを持った男がやってきました。
「やあ、お医者さん。ご苦労様です」名主さんが言いました。
「調子はいかがですかな?」
「それよりも、お医者さん。これを見てくださいな」
名主さんは不思議な実をお医者さんに見せました。
「ここにいる村のヘレン嬢ちゃんが森で見つけてきた実なんです。とてもいいにおいがしておいしそうなんですが、はたして食べていいものかどうか。わたしたちには判断できないんで、お医者さんなら何か知っておるかと思っておったんですが」
お医者さんは不思議な実を手に取って、それをいろんな角度から眺めました。
「うーん、こんな実はわたしも初めて見ました。どれひとつ……」
お医者さんはカバンからメスを取り出すと、不思議な実を少しだけ切り取りました。
そして、そこにいたネズミを捕まえると、不思議な実の切れ端をネズミに食べさせました。
ネズミはとても満足したようにちゅーと鳴くと、元気に駆け出していきました。
お医者さんが言います。
「どうやら、ネズミにとっては毒ではないようですな」
「ということは、食べてもだいじょうぶなんですか?」ヘレンがお医者さんにたずねます。
「いや、まだそうとは断言できない。ネズミにとっては毒がなくても、人間にとっては猛毒ということもあり得る。わたしひとりでは責任を負いきれない。だから、この地を治める男爵の領主さまの判断をあおぐことにしよう。ちょうどあした、領主さまの館へ診察に行くことになっているから」
ヘレンはまだ不思議な実を食べられないことを残念に思いましたが、領主さまが食べてもいいとおっしゃってくれる可能性を信じることにしました。
「じゃあ、この不思議な実はわたしが預かることにするね。必ず領主さまのもとへ届けるから」お医者さんは言いました。

翌日、お医者さんは約束どおり、不思議な実を領主さまのところへ持って行きました。
領主さまは興味深げに不思議な実を見て、
「ほう、こんな実が村になっておるのか」と言いました。
「ええ。聞くところによると、森のなかの一本の木になっているようです。はたしてこの不思議な実を、食べていいものとするか、それとも食べてはいけないものとするか、その判断はわたしの手には余ります。なので、領主さまに決めていただきたいと思います」
「しかし、ネズミに食べさせても問題なかったのであろう? ならば人間が食べてもよいのではないか」
「そう簡単に断言はできないのです。たとえば、人間はタマネギをおいしく食べますが、イヌやネコには毒になります。ネズミが食べて安全だからと言って、人間にも無毒とは限らないのです」
領主さまはまゆげのあいだににしわを作りました。
「むむ……そんなことがあるのか。この不思議な実はとてもよいにおいがする。もし食べてもいいものならば、きっと我が領地の名産品となろう。さすれば徴収できる年貢が増えるかもしれぬ。しかし、毒の実だった場合、領民を多数死に追いやることになるかもしれぬ。その場合、わしが国王さまから責任を問われて罰せられるかもしれん」
「さようでございますか」
「来週、わしは国王さまに拝謁することになっておる。わしには判断できないことなので、国王さまのご聖断を仰ぐことにしよう」

王宮にて、領主さまは国王さまに会いました。
そして不思議な実を国王さまに献上しました。
「国王さま、これは最近我が領地で発見された新種の木の実でございます」
国王さまを不思議な実を右手に持ち、左手で自分のヒゲをさわりながら、
「ほう、こんなものは見たことがない。早速食べてみよう」と言いました。
国王さまが不思議な実をかじろうとしたところで、
「お待ちください、国王さま」と領主さまが言いました。
「なんじゃ?」
「なにぶん、新種のものでございますから、ひょっとしたら毒があるやもしれませぬ。領地の村のほうでも、はたしてこの不思議な実を食べていいのかどうか、決めかねておるようです。万が一、毒が入っていた場合、たくさんの人が死ぬことにもなりかねません。なので、この不思議な実を食べてよいのかどうか、最高責任者である国王さまに決めていただきたく思って、本日こちらに持って参ったわけです」
国王さまはうなずきながら、言います。
「なんだ、そうだったのか。要するに、毒が入っておるかどうか調べればよいのであろう。わしがいかに国王であろうと、それを調べる能力はない。王立アカデミー研究所のほうにまわして、専門家に調べさせればよかろう。こういうものは、専門家の言うことを聞くのがいちばんじゃ。専門家ならば、この不思議な実の正体をすぐに言い当てるに違いない」

王立アカデミー研究所の主任博士は、不思議な実を前にして、困っていました。
遠く東方で書かれた文献にあたっても、この不思議な実がいったい何なのか、はっきりしないのです。研究所には百人に及ぶ研究者が所属していますが、誰一人この不思議な実を見たことがある人はいませんでした。
わからない以上、自分たちで調べるしかありません。
研究者たちは、不思議な実を小さく切り取り、煮たり焼いたり薬品と反応させたりしながら、毒が入ってるのかどうか、調べました。
しかし、毎日毎日実験しても、確かなことはわかりません。
やがて、すべての実験をやり尽くしたころ、主任博士はとうとう、
「こうなったら、実際に食べてみるしかない」と言いました。
研究者たちは困惑しました。毒が入ってないと確定していない不思議な実を食べたい研究者などいません。
しかし、国王さまからは、早く結果を出せという命令が頻繁にやってきているのです。もう時間はありません。
研究者のなかから、決死隊が結成されて、五人の研究者が、不思議な実を齧りました。
すると、食べた研究者たちは、とたんにもがき苦しみ始めて、床の上をのたうち回りました。
そして、ひとり残らず死にました。
やはり、この不思議な実は毒入りだった。主任博士は国王さまにそう報告しました。
国王さまは、
「それはたいへんだ。研究者たちの犠牲を無駄にしてはならぬ。役目、ご苦労であった」
そう言って、さっそくこの不思議な実を食べてはならないという布告を出しました。
そして軍隊に、その不思議な実をならしている木を焼き払うよう命じました。

そのころ村では、ヘレンとパパとママは、毎日不思議な実を食べていました。
不思議な実は、においから想像したとおり、とてもおいしい味がしました。ヘレンの家族だけではなく、村のみんなも不思議な実を楽しんでいました。
不思議な実は、コロちゃんが発見したということで、いつの間にか「コロちゃんの実」と呼ばれるようになっていました。
村では、いつまで経ってもこの不思議な実を食べてもいいのかどうか決まらないので、誰もがとうとう我慢できなくなって、食べてみようということになったのです。
もちろん不思議な実には毒など入っていませんでした。
しかしこの不思議な実はとても傷みやすいので、木からもいだら少なくとも二日のうちには食べてしまわないといけません。何日も経ってしまうと、口の中に入れると少しだけピリピリして、どうやら悪くなってしまうようなのです。ためしに、もいでから一週間が経った実をネズミに食べさせてみれば、ネズミはたちまち死んでしまいました。
でも、もぎたての不思議な実は、リンゴよりもモモよりもナシよりも甘くてみずみずしくて、とてもおいしいのです。
ヘレンは今日もコロちゃんと森に行って、コロちゃんの実を食べることしました。

ヘレンはコロちゃんと、コロちゃんの実を食べていました。
「おいしいね」とヘレンが言いました。
「だからおいらが言ったとおりだろ? 食べていいかどうかなんて食べてみればわかるんだ。わざわざ人に聞くようなことじゃないし、人に決めてもらうようなことでもない。この国のえらい人は、みんな狂ってしまったんじゃないか。いや、えらい人だけじゃないかもしれない」
そこへ、槍を持った兵隊さんがたくさんやって来ました。
「おまえら、いったい何をしているか!」兵隊の隊長が言いました。
ヘレンがこたえます。
「コロちゃんの実を食べているんだよ。兵隊さんも、おひとつどうぞ」
ヘレンはコロちゃんの実を隊長に差し出しました。
「なに。お前、この実を食べているのか?」
「うん。とてもおいしいよ」
「食べて、何ともないのか?」
「うん、まいにち食べてるし、パパもママも、村のみんなもコロちゃんの実を食べてるよ」
隊長は混乱しました。はたしてどうしたらよいものか、自分では決められないので、いったん退却して、上司である中隊長の判断をあおぐことにしました。
そして、中隊長は師団長の判断をあおぎ、師団長は方面本部長の判断をあおぎ、方面本部長は統合本部長の判断をあおぎ、統合本部長は大臣の判断をあおぎ……。

ヘレンとパパとママは、縄で縛られていました。
ほかにも、名主さんと何人かの村の人が、ヘレンと同じように縛られていました。
そばに立っている兵隊が言います。
「食べてはならぬと布告の出た実を食べていた罪により、首謀者ヘレン、そしてその父母、および村の名主ほか数名を、斬首の刑に処す」
ヘレンは兵隊に、剣で首をはねられました。切り落とされた首からは、たくさん血が出ました。

コロちゃんはとても哀しみました。
あんな不思議な実なんか、見つけなければよかったと、後悔しました。
そして、大きな声をあげて泣きました。


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