再会できた年
今年、特に後半は人に会う機会が多かった。
3年ぶり4年ぶりは当たり前。
夏には、十年以上会っていなかった中学時代の顧問の先生と再会した。
運動部で、僕らの世代の中でも(強豪校にもなれないのに無駄に)練習メニューが厳しく、練習の辛さと結果が出せないギャップに耐えられず部員が少しずつ辞めていくような環境だった。
その環境を作っていたのは、当然顧問の先生。
久しぶりに会った顧問の先生は、僕より小さくなっていた。
もちろん僕の身長が伸びたのだが、元々おじいちゃんだった先生は更におじいちゃんになっていて、背中も丸まっていて、余計に小さく見えた。
僕は身長を伸ばしたくて部活に入り、メニューが厳しくても「これも身長を伸ばすため」と思えば耐えられた。
簡単に手に入る物ではない「身長」を目的にしていた僕は中1から中2にかけてクラスの背の順が大きく後ろへ下がっていったので、分かりやすく可視化できる結果とモチベーションがあったから続けることができた。
逆に言えば、これくらいの強い目的がなければ部活はただ辛いだけで、辞めていく人が多いのも納得。
スポーツが上達したいわけではなかった僕の風変わりな思想が結果的に勝利をもたらしたのかもしれない。
久しぶりに会った顧問の先生は、当時から時代ギリギリの厳しさで、同じことを今の時代にやると問題になることに苦しんでいた。
「後にアウトになるようなことは、あの時代にもしちゃいけねえんだよ」
意外な言葉、と思ったが、よく考えればこの方は教員免許を持った学校の先生だった。
(教師としては僕の学年の担当ではなかったのでその意識は低い)
そして僕が部員の中でも身体が小さかったせいかそれとも別のバイアスか、部活中先生から僕一人を標的にして責めたり、他の部員を笑わせるための材料に使っていた。
「俺が間違ってたのかな」
先生は当時から僕が家族とうまくいっていなくて家に居場所がないことも知っていた。
その上で、僕を標的にしたことを後悔していたみたいだが、僕は家の中でもっと酷い標的にされていたので、先生のイジりはちょうど良い度胸試しだった。
家という密室の中で痛めつけられることは孤独だけど、部員たちの笑いの種にされることは、むしろ僕の存在感を高めてくれて、孤独から完全に開放される嬉しい瞬間だった。
家庭環境が特殊すぎて、僕は一般的な苦痛を苦痛とも思わないのかもしれない。
僕は確かに身体も心も強い大人にはなれなかったけど、それは家庭環境の問題。
あの部活の経験がなかったら、今の僕は生きることができているかどうかも分からない。
僕には早いうちから実質身寄りがなく、友達も仲間もおらず、それでもコロナ禍を独りで3年耐えて生き抜く強さがあることは、今年証明された。
確実に、先生は僕を心身共に鍛えてくださった。
「だから今年、再会できたんじゃないですか」
そう先生に伝えると、先生の表情が緩んだのが見えて、僕も安心した。
中1の夏、部活のユニフォームを注文する時に
「多賀山はSサイズでいいな?」
「いえ、僕は今絶対成長期なんでMサイズでお願いします!」
「ガハハハハハ」
当時先生が一番笑ってくれた瞬間を僕は覚えている。
半分本気で、半分勇気を出してボケたら、無骨な先生が声を出して笑ってくれたからだ。
家の中で同じ事を言っても、黙れと言われて殴られて終わりだ。
記事の本筋から逸れてしまうのだが、「毎日500本ノックを出してくれる先生(監督やコーチ)」がいなければ、今年の阪神の強さは無かったんだろうな。
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