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ドラマ評 日常を描いた2作品

朝、見ていたドラマが相次ぎ終了した。1つは朝ドラのスカーレット、もう1つは帯ドラマ(地上波は昼だが、小生はBSの朝の1日遅れの放送で視聴)のやすらぎの刻~道である。スカーレットは、陶芸家の道を歩むヒロインを描き、やすらぎの刻は、17年に放映されたやすらぎの郷の続編で、テレビ制作に携わった者だけが入居を許される老人ホームの様子と、そこに入居する主人公である脚本家が執筆した夫婦の昭和から令和までの生活が描かれた。

前者のスカーレットは、最後まで展開が気になるドラマで、元SMAPの稲垣吾郎が出演したことで、さらに話題を集めた。ヒロインの戸田恵梨香扮する川原喜美子の息子が白血病に侵されながらも、陶芸に打ち込む話が、ラスト1カ月間の内容だった。朝ドラでは、割とラストは「消化試合」のような内容が多いのだが、主治医で稲垣が出演したのをはじめ、息子がラストまでどうなるのかが、ドラマの見どころだった。ネタバレになってしまうが、ラストでは、息子が亡くなり、2年後という設定で、最後はヒロインが窯で陶芸に打ち込むシーンで終わっていた。これについて、脚本を書いた水橋文美江は、インタビューで、「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」としたと語っている。

「スカーレット」脚本家・水橋文美江が「死ぬことよりも、どう生きたかを描こう」と決意するまで #スカーレット #朝ドラ #水橋文美江 https://bunshun.jp/articles/-/36855

作品を書いた背景には、身近な人の死が大きかったようだが、作品を見ていると、死を前にしても普通にどこかへ出かけたり、談笑したり、食事をしたりと、時にはユーモラスな場面も交えながら、日常が描かれていた。

一方で、倉本聰が書いた「やすらぎの刻」でも、死を前にしつつももう一花咲かせていきたい、かつてのスターたちの老人ホームでの姿が、この作品の肝のようなものだった。石坂浩二扮する主人公で脚本家の菊村栄と、かつてのスターたちの時には、シュールな日々が描かれており、また、菊村も世には出さず、腫瘍が見つかり、死をも意識するなかで、「道」という作品を書き始め、こちらもネタバレになるが、最後には亡くなった妻の墓前に捧げる内容で、「死」よりもそれを前にどう生きる証を残すのか、という点に意識が置かれているように感じた。老人ホームでは、時にかけ事などが行われたり、バーで他愛もない会話がなされるシーンが多いのだが、ミッキーカーチス扮するマロや、山本圭扮する大納言など、入居者の死が出てくると、こうしたスターたちが、「死」を意識せざるを得ない瞬間が出てくるのは、ドラマの見どころだった。また、このドラマでは、八千草薫、梅宮辰夫、山谷初男などが放映中に亡くなった(実生活では、山本圭が夫人を亡くしている)。亡くなった本人、出演者たちも、何かしら「死」を意識したとすれば、これがドラマの「リアリティ」に与えた影響は少なくない。ちなみに、倉本や主要キャストは後日談を語っている様子。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200327-10001157-bunshuns-life

似て非なるドラマだったが、「朝」の時間帯に、「死」を前にした日常の様子を描いた作品を見られたのは、ながらだったとはいえ貴重な視聴体験だった。