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再熱

1本目の投稿から「再熱」というタイトルはいかがなものか。と思うが、
自分の考えていること、胸の奥に溜まっているなにかを十数年ぶりに表現したくなったのだ。

幼いときから文を書く、物語を創造するのは何となく好きだった。
実家には小説や絵本、詩集がたくさん置いてあった。母の影響だろう。
寝る前や暇さえあれば文字を追い、意味の分からない漢字に怒り、母に助けを求める。そんな日常だった。

自分の書く文が嫌いになった事が一度だけある。
小学4年生 国語の授業で「ごんぎつねの続きの物語を自分で考えよう」
という授業だった。
クラスのみんながプリント1枚で、終わった~と言っているなか自分は、10枚ほど書いた。先生に提出したとき「たくさん書いたね、読むのが楽しみ」と言ってくれて嬉しかったのを覚えている。
数日後に授業参観があり、生徒一人一人のごんぎつねに先生からのコメントがついたプリントが教室の後ろに張り出されていた。
「○○さんの感性は素敵ですね」「読んでてとても楽しい気分になりました」など様々な先生からのコメントがある中、
自分のプリントには「長ければ良いというものではありません」と書いてあった。小学生ながらに震えたのを覚えている。
授業参観ということもあり親にも見られた。爆笑された。また震えた。
自分の考えを表現するのが嫌いになった。

なぜ今回もう一度書こうという気持ちが生まれたかというと、12年ぶりに
自分のごんぎつねが認められたからである。
先日、母からLINEが届いた。
「ご令嬢御子息様の学生時代の思い出(主に成績)を処分したいと思います。残しておくものありますか?」
すぐに返信した。
「全部燃やしてくれ!!」
父「ごんぎつね あの名作は残しておきます。」
 「何度読み返しても、面白く、考えさせられる。名作だね」
煽られていたのかもしれない。でもなぜか認められた気がした。
名作が響いたのか、面白いが響いたのか、分からない。
ただもう一度書きたいと思った。
誰もきっと読まないだろう、でも残し続ける。書き続ける。
自分はここに在るんだと、表現し続ける。

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