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そもそもショースターとは

最近、月組について「ショースターがいない。他組からいれるのが急務」という意見があるらしい。ただ今回それを知ったのはその意見に対するファンの不満ブログであり、元の意見は聞いたことがあるような気がする程度であった。
おそらく暁千星が抜けて以来、ダンスが売りのスターがメインにいない=ショースターがいないということなのであろう。しかし、宝塚のショースター=ダンサーというのも疑問である。

芝居が微妙でダンス力に傾いてるスターを、便宜的に「ショースター」と言っている場合は分かる。
しかし今回の論争は、さも「いなければ困る」という文脈らしい。フォロー的な意味ではないようなのである。

それこそダンス一本で運営している世界的バレエ団の公演を観て、「月組もこうなって欲しい」と思っている訳ではないであろう。
最近のカラオケバトルのような、ダンスゲームで無双しているダンサーとも違うはずだ。

また劇場中に響き渡る歌声ならともかく、「ダンスが上手いショースター」がいたところで、その良さを発揮する時間は短い。また距離があると高い速い柔らかい……等、理屈で見てしまう。
つまりダンサーの良さを本質的に体感出来るのは、たった数分、目の前に来た数列以内程度だ。
特別身体能力の高い演者がいるに越したことは無いが、いなくて困るわけでも無い。

ダンスに関しては、全員が全体的に上手いことが重要だ。それはラインダンスに拘る現状にも表れている。
平均値で言えば、月組が遅れをとっているわけでも無いであろう。

そこで「ショースターとは何か」を考えると、極論「バカになれる」ことだと思う。
「ピエロになれる」と言っても良い。

数値や理屈は一切抜き!頭を空っぽにして、何も考えず「凄い!楽しい!」と語彙力を失いただただ夢中にしてくれる。
それこそがショースターである。

その意味では、ディズニーランドのショーやパレードに近い。
ミッキーマウスのダンスが上手いからショーを見たいのではない。ミッキーマウスだから見たいのだ。
プリンセスの人気が出ても、表情の変わらないミッキーマウスや仲間達はやはり圧倒的である。
何故ならあの動かない顔の裏にこそ、自分の見てきた、自分の思うミッキーマウスがいる。
己の思うミッキーマウスだと信じるとき、人はどこか頭を空っぽにしているのである。

宝塚の男役も同じかもしれない。単に歌やダンスが上手い男装女子として世に出ていても、ファンになったと言える人は少ないであろう。宝塚であることに意味がある。
また、本当の男性ではないことを、ありとあらゆる手段で忘れさせて成り立つ。そのためには見てる側も、ある程度自分から騙されにいくことが必要だ。
やはり多少は頭を空っぽにして、バカになったもの勝ちなところがある。

その意味では、確かに月組はショー向きではない。それは今に限ったことではなく、月組の特色と密に関わっている。
やはり芝居が売りの組なので、ともかく深い。ピエロが息抜きさせてくる暇など無いし、バカになっているとついていけない。
最近でいうと、考察系に強い組である。

それは『BADDY』にも現れている。芝居要素が強く深いメッセージ性があり、考察が捗る。
『BADDY』以降、かなりの先生方がストーリー仕立てのショーに挑戦している。しかし「BADDYっぽいのがやりたい」のみで思い切りが悪い。はっきり言えば、企画倒れしている。
中途半端にやるなら、最初からショーとして割り切って欲しい。物足りなさと、もどかしさがあった。

その中で最も近いのは、やはり月組の『Rain on Neptune』1幕である。
そう考えるとショースターを重視しない月組だからこそ、出来る作品は多い。

また、20才前後で引退する新体操のようなアスリートダンサーより、叙情的で深く芝居を作り込む演技派の方が、30代以降で頭角を現しやすい。
月組に芸能界で活躍するOGが多いのも、持ち味の結果であろう。

とはいえ、タイプの違う役者が組むからこそ、それぞれの個性が際立つのは事実である。
どんなグループでも、キャラは被らないようにするのが鉄則だ。
全員女性で年齢幅も広くはないのに、持ち味まで揃えてしまうと皆同じに見えてしまう。それはスターシステムの宝塚にとって、致命傷になる。
「せっかくの持ち味が、ボヤけてしまって勿体無い」と焦るファン心も分かるのだ。
組の特色とスターの個性、どちらを際立たせるかは永遠の課題である。

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