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演出家が進める先

小池修一郎×ドーヴ・アチア、古川雄大主演の新作ミュージカル『LUPIN ~カリオストロ伯爵夫人の秘密~』が上演される。
帝国劇場で『1789 -バスティーユの恋人たち-』のタッグが再集結ということで、全容が見えない状態にも関わらず発表だけで盛り上がりを見せた。
しかし気になるのは、前哨戦のような形で星組が大劇場公演を行うことである。

小池修一郎という演出家は、外部でも確固たる地位を確立している。しかしこれまでは初演は宝塚歌劇団からであったり、番手や主演男役1強主演では困難な作品の輸入等「あくまでも宝塚がメイン」という体は崩さなかった。
しかし今回は設定や役のバランスから言っても、宝塚に合う内容のようである。むしろ群像劇の要素が強い1789より、宝塚向きかもしれない。

更に1789は誰もが、暁千星がトップスターになった時のお披露目と予想していた。若手時代にハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵と新人公演主演のW抜擢で好評を博し、宝塚の定石として当然あるものと思っていた。

しかし今回カミーユ・デムーランとの発表があり、正直それほど出世を感じられない役となっている。何より再移動でもない限り「暁千星のロナン・マズリエ」は未来永劫、絶望的となった。

もちろん「礼真琴のロナン・マズリエ」を望む声が多かったのも確かだが、あくまで移動前である。横から掠めとるようにお披露目大本命を取り上げるなんて、誰も望んでいなかったであろう。

それなのに何故今、1789をやらねばならないのか。
その答えが、LUPINに見える。

ドーヴ・アチアを中心とした関係スタッフに権利料という旨味を与え、良い関係を築き、外部での新作に活かす。ついでに作品の宣伝も兼ねられ、厳しくなりがちな新作の集客も期待出来る。
ダシにしてるというと聞こえが悪いが、まさに一石二鳥にも三鳥にもなる采配である。

もちろん宙組新トップコンビのお披露目が『パガド~世紀の奇術師 カリオストロ~』という、LUPINの大盛り上がりに乗っかる前提なこともあるので、持ちつ持たれつ協力し合うのは当たり前かもしれない。

とはいえ一世一代の夢『ポーの一族』を叶え、 史上最大の知名度『007/カジノ・ロワイヤル』の宝塚化を実現した今、照準は完全に外に向かっているように思う。
そしてその必要性も感じている。

実際、発売中の星組公演 全国ツアー『バレンシアの熱い花』『パッション・ダムール・アゲイン!』は一般発売後から経っても未だに土日、大千秋楽含めかなりのチケットが売れ残っている。
しかし大劇場等近くで他公演があるわけでもない、広島はすぐに完売していた。
2番手役、瀬央ゆりあの出身地のためなのは明らかである。

主演の凪七瑠海や舞空瞳と違い、出るかどうかの発表さえ遅かった。それなのにポスターの真ん中に位置取っているのは、プレッシャーをかける意図があったように思う。

構図は月組の『ピガール狂騒曲』とも重なるが、ポスター内で唯一完全に男役である月城かなとが影の主役ばりに構えるのはまだ分かる。
しかし『バレンシアの熱い花』はそんな内容ではない。経緯からしても全幕、凪七瑠海のワンマンショー的である可能性が高い。
つまり内容とは無関係な、推し活頼りのポスターなのである。

そう考えると宝塚は、演出家がやりがいや達成感で満たされにくいのではないか。
大きなゴールである大劇場デビューを果たした後は、名作を作ろうと駄作を作ろうと、売上はスター次第。ロングランも無ければ、再演も作品の質よりもスターの都合によるところが大きい。

圧倒的人気ながら宝塚を退団した演出家、上田久美子のインタビューでも、推し活頼りの現状に憂いを溢していた。
年末にセクハラ、パワハラで退団出禁となった演出家は、ファン受けそっちのけで演劇界のショーレースに焦点を絞っていた。
もちろん組織内での立場や、知名度や権利料が高い作品が出来るなど、出世自体はあるであろう。しかし、芸術家としての達成感を得られる機会が少ない体制に思える。

ゼロ地点からでも作家として育てられ、ある程度の知名度も得られる点では、希少な組織ではある。しかしスターありきのシステムはクリエイターとしての独り立ちを許さず、意外と天井が低い。

観客はほぼファンなので、贔屓可愛さに演出家には減点法になる傾向がある。
普通、いまいち役がハマってない時は演出家の采配のせいか、演者が要望応えられなかったのか、両方に責任がある。配役は番手や前後の作品事情もあるため、先生側からするとやむを得ない縛りも多いであろう。
しかしファンは基本的にスターの味方、贔屓なら尚更なので、演者の不出来であっても演出家の責任と叩かれることは多い。
なかなか損な立ち位置に思う。

そもそも生徒と先生と言われる立場とはいえ、タカラジェンヌが卒業前提、演出家やスタッフは終身雇用前提なのも違和感がある。
スターも演出家も共に育成し、世に送り出す立場も担うのが、転職前提時代へのアップデートかもしれない。

1789を踏み台にLUPINが飛躍するように、宝塚を踏み台に演出家自身の飛躍を、もっと奨励しても良いのではないだろうか。

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