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アスリートとフェアリー

週刊文春に、以下の記事が掲載された。
「突然、大粒の涙を…」宝塚トップスター礼真琴が公演中に突然の休演!そのウラに隠された「車イス」
https://bunshun.jp/articles/-/65197

文春は(最初の礼真琴文春砲をまるで無かったかのように)好意的に書いている。だからこそ親御さんもコメントしたのであろう。
しかしこれは、礼真琴のトップ任期は懲役と痛感させる。
そしてこのまま、使い倒す方向で進んでいるように読めた。

アスリートなら良い記事かもしれない。精神的に病んでても、身体がボロボロでも、記録や成績が出せれば良い。
はっきり言えば「実情がどうあれ数字が全て」の世界である。
試合や曲が終わった直後、観客の目の前で地面や道具を殴る選手も珍しくない。

アスリートの世界は、勝つか負けるかだ。
そのためパフォーマンスを限界ラインまで設定し、失敗を目にすることも多い。
インタビューで故障や体調不良を訴えたり、不満を吐露しても客やファンから文句はほぼ出ない。

しかし芸術、特に宝塚は「夢を売る世界」である。
辛くても笑顔で、不仲でも密着し、嫌いでも嬉しそうに演じる。この世の辛さや悲しみとは切り離された世界の、フェアリーであることを求められている。
本来はリアルの数字ではなく、概念の表現を突き詰めなければいけない。

その中で礼真琴の舞台は、人体を道具のように使うアスリート性が功を奏した。人形のように極限まで動かすのに重点を偏らせたことが、分厚い仮面として心情を虚無にしていた。
コロナで感情が揺れ過ぎるスターが目立つ中、冷静に身体をコントロールする演技は安定感として受け止められたのである。

一方、新しい風が入ったのが前回の『Le Rouge et le Noir ~赤と黒~』であった。
運良く何度か観劇が叶ったが、まさに新感覚の「情感のあるトップスター礼真琴」であった。

しかし、こちらも運良く中止にあたらず何度か観劇出来た『1789 -バスティーユの恋人たち-』では、分厚い仮面が復活した。虚無人形に高度な技術を飾り付けた舞台に戻っていた。

そう考えると意識的にしろ無意識的にしろ、やはり礼真琴のアスリート人形劇っぷりは、心身を守るために起こっているように思う。

リアリティーショーで叩かれると、普通のドラマの芝居で叩かれるのとは比べ物にならないショックだと聞く。
相手役の影響かとも思ったが、赤と黒の礼真琴は本質的な琴線なのかもしれない。
厳しい指導や叩かれれば、人間性まで否定されたように立ち直れなくなる、分厚い殻の奥にある核。新人公演や2番手以下の主演時には垣間見せていた部分を、トップスターになって初めて表に出した。

一方で1789を含む他のトップ公演のようなアスリート人形劇であれば、身体が思ったように動いているかが全てで自分でも把握出来る。批判されても表面的でしかないため、傷付きにくいのであろう。

だからこそ限界を見誤ったともいえるが、コロナによる不安定な情勢での戦略としては悪くなかった。
しかしアスリート感覚というのは、失敗と成功に線が引かれている。常に失敗するギリギリを攻めなければ、記録は出せない。
そして勝者だけ、成功だけ見るということは出来ない。スポーツ観戦というのは、敗者や失敗もある前提のチケット料金なのである。

一方宝塚のような舞台芸術は、全員成功する前提の料金で売っている。
もちろん芸術の成功は、多くの色がグラデーションになっている。トラブルでも、技量が足らなくても、観ていて楽しくなれば成功になる。
笑顔で「幸せでした」と言えば、良くも悪くも丸く収まってしまう面がある。
唯一の失敗は、やはり舞台が止まってしまうことであろう。

コロナも名目上終わったことで、失敗するギリギリ、ましてや突然の中止のリスクまで負うことは許されない時期に入る。
そもそも無理をさせない設定にする等、作り手側の配慮も求められていいはずだ。

極論、株式総会で例の質問をした株主は、何の責任も問われなくていいのであろうか?数字ばかりで生身の人間が動かす産業というのを忘れていたから、招いた悲劇ではないのか?
投資ブームが加速することで、株主ハラスメントという言葉が誕生する日も近いかもしれない。

今回の記事は、疑問に思っていた宝塚大劇場での中止や株主総会について、明確ではないまでもそれなりにスッキリ納得出来る内容であった。
また治療のような理由がある休養なら、復帰スケジュールの組み方がかなりキツい。
今回は文春も劇団も、善意として発信しているようなために、どう受け止めるべきかがより厄介になっている。

記事が出た途端に宝塚公式HPで快復や復帰のニュースを載せる「文春VS劇団」のやり合いもまた起こった。
嬉しいはずの復帰のニュースが、恒例化しているゴシップ泥試合の道具となってしまった。

本当にこのタイミングは適切なのか、
疑惑はますます深まる。
「宝塚より文春の方がずっとまともなのでは?」と気持ちが傾き出す展開であった。

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