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【書評】長濱ねる『たゆたう』

『たゆたう』(長濱ねる/2023年9月1日/KADOKAWA/600円+税)

 数年前、何かの媒体で初めて、著者である長濱ねるさんの存在を知った。彼女がまだ欅坂46というグループでアイドルをしていたときだった。

 たゆたう、は揺蕩うと書く。揺れて、蕩う(つたよう)。はっきりとした目的もないまま、揺れ動きながら辺りをさまよう。アイドル活動を経て、女優やソロタレントとして活躍を続ける長濱ねるの姿は受け手にとっては多才で器用な存在に映る。多才で器用な存在とだけ映る。一方で彼女自身は現在の自らの立ち位置に迷い続けている。何も切り捨てず抽象的に表せば、自分が何者なのか、という問いだろう。オンライン英会話を受けたお話では、講師に「今はどんな仕事をしているの?」と聞かれ、英語云々の前に日本語でもうまく説明できないのに、と思い悩む姿が描かれている。

 彼女の文章には近さと遠さがある。雑誌の撮影で、マネージャーが、というように芸能人らしい遠さ(もちろん飾らない形で)を描きつつも、前述の英会話のエピソードや、例えば日本全体が盛り上がっている中でW杯の日本戦を「見ることが出来なかった」という一編の心の描写は読者に存在の近さを感じさせる。きっと21編の中で読者は彼女の言葉に多くの共感を覚えるだろう。他者を他者としてイメージさせる遠さと、共感を与える近さ、このバランスが取れたときに読者は自然と、わからないことをわかろうとする態度、想像力の一歩へと導かれていくのだな、と改めて思わされる。

「揺蕩ったまま、せめて下降しないようにとあがく」。著者が大切にしている言葉として綴られているこのフレーズ。その印象的な言葉を独り歩きさせない著者の日常の切り取り。それを描く文章は、一人で、孤独に読んでほしい。

 最後に個人的な感想を。著者は文章に余白が出来ることを、本当に恐れている。誤読はもちろん、自身の経験を語るための言葉が知らないうちに誰かを傷つけているのではないか、という恐れだ。文章の至る所でそれは感じられるし、書くことへの怖さを自白するように綴っている編もある。わかりやすく象徴的なのは冒頭、「連載当初からは、環境も心持ちも大きく変化していて、この本の中の私はきっと矛盾しています。」と書かれている。著者の誠実さとも、あらかじめ張った予防線とも受け取れる一文だ。僕が以前より気になっているのはそれら言葉に対する恐怖心の是非、というよりも、そうした姿勢が若い書き手に共通して存在しているように思えてならないことだ。誤読を招いてはいけない、隙間をつくってはいけないという潜在的な意識が、若い作家の———島口大樹さんにしろ、日比野コレコさんにしろ、文章には表出しているように思えるのだ。より細分化した例を挙げれば、一世代前の作品で、句読点のなさによって前と後、どちらと接続しているのか一瞬迷う文章に出会ったりすると、思わず「うっ」となることがある。若い作家の作品にはこれがあまりない。文章のグルーブと誤読回避、書き手にとって50/50だったとしたら常に後者を選んでいるのが、今の若い作家の特徴の一つであるように思うのだ。僕自身も大いに共感するポイントなのだが、ずっとその理由がわからなかった。そんなときに、長濱ねるさんは本作で一石を投じてくれた。本編にはさりげなく書かれているが彼女は文章に対する恐怖感の理由としてインターネットを挙げている。そしてインターネットやSNSに付いてくるモラルやリテラシーといったワードも、間違えられない、隙をつくれないという意識に影響していると綴っている。まさに、これまでアイドルやタレントとして表舞台で活動し、発信する側として責任を求められ、受信する側として無責任に悩まされてきた彼女だからこその指摘だろう。素直に、なるほど! と思った。『たゆたう』全体の内容とはあまり接点がないので、ひとまずはこの辺りにするが、こうした発見を与えてくれるのもエッセイの魅力として新しい体験であった。

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