ひめりんご

巨大な団地に住んでいた頃、隣のベランダとの間仕切りは簡易なものだった。ちょうど子どもの背丈くらいに僅かな穴が開いていた。恐らく経年劣化で開いてしまったのだろう。小さな穴だったが、覗けば隣のベランダが見えた。隣には同い年くらいの女の子が住んでおり、ごくたまにベランダの穴を通してのおしゃべりを楽しんだ。ごくたまにと言うのは、ベランダにお互いがいるのは本当にたまたまだったし、特別約束があるわけでもないので気まぐれに間仕切りの穴を覗く時もあれば、覗かない時もあった。

ある日、たまたま隣の女の子がベランダにいた。間仕切りの穴を通して、女の子は小さなリンゴをくれた。子どもの手のひらに乗るサイズの紅色のリンゴが、小さな穴を通してこちらに渡された。私は絵本の中に出てくるような可愛らしいサイズのリンゴに驚き、これは確かにリンゴなのか確認した。女の子は自分の分の赤いリンゴを美味しそうに齧って食べている。おかっぱ頭で痩せている女の子がリンゴを齧ると、小動物が食事をしているようだった。いつも食べているリンゴとは違うが、確かにリンゴの形をしている。女の子に倣って齧ってみると、通常サイズのリンゴよりも甘酸っぱく、すぐに完食してしまった。美味しい。
小さなリンゴが食べたくて子どもなりに探してみたがなかなか店では売っておらず、どうやら女の子がくれたリンゴは貴重な果物のようだ。しばらくすると、女の子は引っ越してしまった。住民の入れ替わりが多い団地だったので、気づいたらいなくなっていた、ということはよくあることだった。

小学校に上がってしばらくした頃、古いマンモス団地に改修工事が入り、和式トイレは洋式トイレになった。ベランダの間仕切りの小さな穴はすっかり塞がれてしまった。既に女の子との交流はなかったが、もうベランダで隣人との交流ができないと思うと、つまらない気持ちがした。その後、自分も別の団地に引っ越した。転居先でベランダの間仕切りを確認したが、当たり前のように1ミリの隙間もなかった。

ある日、スーパーでたまたま小さいサイズのリンゴを見つけた。5、6個が袋に入れられ、メインのブランド系リンゴ棚から明らかに少し外れた位置にぽつんと置かれている。「ヒメリンゴ」と書かれてあった。忘れていた、ずっとこれを探していた。母親に買って欲しいとねだったが、それよりも普通のリンゴの方が安いし大きい、と却下された。せめて名前を覚えておこうと、「ヒメリンゴ」と書かれた商品シールを目に焼き付けた。

大人になってから、ヒメリンゴを絶対買うんだ、と決めているがまだ買えていない。見かけたこともほとんどない気がする。そうすると途端に記憶がぼんやりとしてくる。あの女の子が大事そうに小さなリンゴを齧っていた姿はあまりにも似合いすぎていた。穴が開いた間仕切りを通して隣人と交流していたなんて、本当にあったのだろうか。約束もなく偶然人と会える時間や空間があったことも、小さな子ども同士の他愛もないおしゃべりがどんなものだったのかも、もちろん思い出せない。あの時私が手に入れた手のひらサイズのヒメリンゴも幻だった気がしてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?