もっと頑張ったらよかったのに
現在に、不満がある。それは理想があるからで、理想を掴み取れなかったからで。理想を得るために、もっときちんと、頑張ったら良かった、そう思ってしまう。
今に折り合いをつけていたつもりだ。それでもやっぱり思ってしまって仕方がない。
母親にちょこっと仕事の愚痴を言ったら、返ってきた“もっと頑張ったら良かったのに”。
私はなんだか、折り合いをつけているはずなのに、ひどく傷付いた気分になった。
もっと頑張ったら。もっと頑張れたら。
あの時、その瞬間、私は確かに頑張っていた。
振り返ると、余力があったように思う。しかし私は私なりに出来る限り頑張っていたのだ。
いや、そもそもさ。親たちだって成功していないじゃない。なのに、何で私だけ“努力”に振り回されなければいけないの。いわばマイナスからのスタートじゃん。なんて言ったら甘えと思われるのだろうね。まぁ、甘えだけれどさ。
頑張ったよ。だから多分、今も生きている。空虚を抱えても。
私の頑張ったは、結局親たちの努力の上で成り立っている。数えきれない色々を犠牲にして育ててもらった。わかっているつもり。
でも、親が私を産み出さなければ、別の世界線があったはずで、そうしたら私のような無能が存在しなかったはずで。生まれなければ、なんて不可逆、考えても意味がない。うん。わかっている。もう大人だし。
もっと頑張ったら。そんなのはもう、意味がない。私は“頑張らなかった”世界に生きている。不可逆。タイムマシンはどこにありますか。なんて、戻ってもどうせ、何もしないくせに。
理想と現実のギャップは、いつまでも自分の奥底で私を責め続ける。逃げられない。このまま全部抱えていくしかない。
もっと頑張ったら良かったのに。
思うけれど、言われるけれど、その言葉で今の私を苦しめるのは、何か違うと思う。それはもう取り返しのつかないことだから。今更言ったところでどうしようもない。
この先、生き続けるなら、そんな言い訳は捨てるしかないのだろうな。しんどいな。
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