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記憶の在り処は脳みそだけじゃない

記憶は脳に蓄積される、というのが通念だろうけど
最近私は心に宿るんじゃないかと考える。
というより、そう考えないと救われない。

1つ前に書いた『千と千尋の神隠し』の中に

「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」

なんて台詞があった。銭婆のことば。

千尋はトンネルを抜けてこの世に戻ってきたあと、異世界での出来事を忘れてしまっただろうか。勇気を持って行動したあの記憶はどこに或るのか。忘れてしまっていたとしたら、あの時の勇敢さも失われるのか。

千と千尋では、ラストに銭婆のおまもりがキラリと光ることで「一度あったことは忘れない」という言葉に寄り添った肯定的な表現がされている。

記憶は私そのものだ。
心無い一言に傷ついたあの瞬間。優しくされて涙が出たあの日。怒りに沸いたあの時。全部で私。

思い出せない事柄もたくさんある。薄らいでゆく記憶を思い起こす時、人は歪曲したり脚色したりする。自分の好きに扱えるのも、記憶が自分の所有物だからだ。

だけど、思い出せない記憶と失った記憶は別物だと理屈っぽい茶々を入れさせて欲しい。

もし、記憶が消失してしまったら。コンマ1mmも残さず無に帰してしまったら。

「私が人生で蓄えた全てが、努力して得た全てが剥ぎ取られていくのです。これは地獄です。」

若年性アルツハイマーを患った女性を描いた映画『アリスのままで』


大学教授の彼女が、記憶とともにアイデンティティを形成する知識/知性を失っていく過程が描かれていて、文字通り地獄だった。

彼女の記憶の中でもかなり古いものであろう、少女時代の記憶が度々挿入されるのだけれど、新しい記憶から失われていくのかな。自分の母親や姉のことは覚えているのに、娘たちのことを忘れてしまう。家族にも容赦ない。

それでも、タイトルは『アリスのままで』( "Still Alice" )。

人生の蓄えを全て失ってもアリスはアリスだってことなんだろうけど、私なりに解釈すると彼女の記憶には彼女だけではない所有者がいること。あとは彼女の心に宿っている、っていうことだと。

「夫と出会った夜、自分の書いた教科書を手にした日、子どもが生まれた日。友人ができ、世界を旅した―」

彼女が忘れてしまった記憶にはどれも夫や教科書の読者、子どもに友人。共に思い出を分かち合う共同所有者がいて、彼らはアリスのことを覚えている。彼らの持つ記憶だってアリスを形成する要素なんじゃないかな。

もう一つは、これは冒頭に言ったことになるんだけど、記憶は心にも宿るということ。
人はやたらと心が好きだと思う。心が果たしている役割は脳みそが行っていることなのに、胸のあたりに心があると本能的に感じていて「胸が痛む」「胸が熱くなる」なんて言う。それなのに不思議と記憶の在り処は脳だと人はしっかり認識している。

だけど、アリスはWATERのスペルを忘れてしまっても、「愛」という言葉もその概念も覚えている。
赤ん坊の抱き方は忘れていないし、孫娘に愛おしそうに笑顔を向ける。
きっと心が彼女のままだから。心が覚えているからだ。

記憶は心にも宿る。

と、こうして空元気に解釈しないともたないほど酷な病気。身近な人に降りかかろうとは思いもしなかった病気。

あの人も全部忘れちゃうのかな。それでも彼は彼のまま。そう思いたい。


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