YOASOBIの『アイドル』が海外に何だって??????批判への批判

クロシオです。


カリフォルニアロール、という寿司がある。

一旦例え話。

これを例えば、アメリカ人のちょっと有名なコックが、我々に「アメリカの寿司だ!食べてくれ!」って持ってきたらどう思うだろうか。

「こんなの寿司じゃねえ!」と怒る人もいるだろうし、「日本にはない発想だ」と驚く人もいるだろう。

だが、ちょっと話を聞いたり、調べたりしてみたら、

  •  そもそも「生魚を食す」という文化自体アメリカでは主流じゃない

  •  アメリカ人の舌に合わせている

ここら辺はすぐ理解できるはずだ。
となると、「そうなってしまうのか…」と、モヤっとしながらも一応は腑に落ちるのではなかろうか。


そこで、別のアメリカ人が叫び出す。

「私は魚の切り身を研究している者だが、これは世界の料理に対する冒涜だ。何故生身魚じゃないのか。もう日本料理を作るな。」


…これ、どう思う?


話を本題に移す。
先日、このような記事が流れてきた。

YOASOBI,『アイドル』という曲についての評論記事だ。


「私は言葉の押韻を研究している者だが、これは英語の文化に対する侮蔑だ。何故韻を踏まず、クラブで楽しめる音楽じゃないのか。お前はラップを作るな。」

こう書かれている。

…ん?あ、うーん?あってる?のか?
合ってる部分もある気もする。
いやまぁ、この曲自体が大絶賛とは言わんのやけど…んん??

先ほどの寿司なら、まだ分からんでもない、と思う人も居たのではなかろうか。ただ…韻?んん?
え、その学問守らなきゃ曲作れないの?日本の曲が??他国侮辱することになるの?

カリフォルニアロールって俺らの日本でそんな嫌われてる?

何処かこう、ズレている気がする。
すっごいモヤモヤする。

というわけで、今回の記事は、上記著者「さぎし」氏に対する、「言ってることメチャクチャすぎ」という批判記事になります。

「批判記事って書いたことないな」っていうのと、気に食わな過ぎてその前に本人に皮肉交じりに批判したらメチャクチャ拒絶されたので(ごめんなさい)、一度くらい丁寧にやってみるかと思った次第です。

ではどうぞ。


◆『押韻論』ってそもそも何

まあ批判する前にまず皆さん思ったのは、「押韻論って何?」「押韻論って何?」「押韻?ラップとかの?」でしょう。私も思った。
何の学者が何でYOASOBIをわざわざ批判してんだ?
って。

というわけでとりあえず調べてみたんだけど、一旦Google検索したら、この記事の著者、「さぎし」氏の記事がまず大量にヒットしてきた。
専門家の少ない学術であるっぽい。(ここは違ったらごめんね。)

とりあえずこの「さぎし」氏以外の文献、インターネット記事などをザックリ読み漁ってみたら、以下の通りだった。


●『押韻論』の雰囲気はこんな感じ:

まず、一言『押韻論』と言っても、いくつかの分野に分かれている。本当にザックリ3つだけ書きます。

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・1つ目。韻から文化が見える。
例えば我々日本人は、「パン」と「缶」、発音は似てるけれど、会話の中で聴き間違えたりはあんまりしない。そういうのって、文脈とか、文化とか、音だけじゃ間違えない理由があるよね。→ 韻から、その国の文化背景や価値観、哲学などを考えていく方向の研究。
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・2つ目。韻から言葉の歴史が見える。
各国の言語それぞれ、言葉の聴きごこちの良い・言いやすい言葉、発音、文章の長さ、イントネーション、etc…があるよね。
→それを「韻」という視点から研究すれば、各国で長い歴史をかけてできた言葉のルールが読めるよね。という研究。
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・3つ目。韻から、言葉の美しさの磨き上げができる。
(これの説明が難しいので、ちょっと長い事を許して欲しい。)
例えば、作詞に対して『韻』を用いる事で、精密にリズムを保ちつつも、歌詞も伝えたい事をバッチリ言いつつ、完成度の高い音楽や詩歌を作りやすくなる。

すっごいザックリだけど、音楽ならボーカルを「聴き心地の良い打楽器」としても、「メッセージを伝える文字列」としても完璧で究極なハイブリットになるように目指す、という感じ。

歌詞を全部『完璧に韻踏む』なんてことは不可能かもしれない。
でも、そこで『「あ」と「い」は声に出すと全然違うけど、「あ」と「え」はそれより似てる気がしない?』みたいな知識があれば、”なんちゃって韻”でそっちの方が美しく聴こえる。こういう知識も突き詰めて行けば、美しい歌詞を作り上げていけるぞ!というイメージだ。
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はい、押韻論のザックリとした説明でした。

●「さぎし」氏の押韻論はこんな感じ:

続いて、著者の持論(さぎし論、と分けて呼ぼう。)について。
そしてこの「さぎし論」は、3つ目の言葉の磨き上げを主軸に、独自路線の研究をしているようだった。

・研究目的は、「完璧な押韻詩」を作るためである。

『ここまで韻を分類できるのは私だけ』と自負されている。

・歴史のある研究分野ではあるのだが、著者の研究…というより、「韻の種類」の分類分け・定義付けが進んでおらず、著者自身が命名し、定義し、持論を進めて研究している。

こんな感じ…というか全部さぎし氏が自分で書いてた。
まあ詳しくは本人が上げている過去の記事を読んでみて下さい。

どうしても慣れない我々にとって難しい、読みづらい分野だが、結構面白さもわかる。読みごたえもあるよ。

何であれ、このさぎし氏はひたすら押韻の研究をしており、押韻が大好きすぎるあまり、他人の作った替え歌に対し、原曲とちゃんと韻を踏んでいるか全部細かく確認して、メチャクチャ楽しんでいるくらいの研究者だった。
(これもブログにあるよ。)

押韻の質問があったらこの方に伺うのは間違いないと思う。ここまで突き詰めてるのは正直カッコイイ。

私は厄介に粘着しすぎてブロックされたので、自分で頑張ります。

以上、押韻論・押韻さぎし論の雰囲気説明、終わり!
さて、本題行きます。



◆YOASOBIの『アイドル』は外国への侮蔑になる?


なるわけねえだろ!!!!!!!!!!!!!

先に結論です。安心してください。
ここまで押韻論を長々書いておいて何だけど、ここから先あんま押韻論とか関係ありません。

そもそも、ただの『日本の文化』の海外輸出が『外国人に喧嘩売る』事になんかならんて。『敬意がない』なんてこともない。
そういう話じゃない。

なってるなら売れないし話題になるでしょ。お門違いもいい所。
現実を見ましょう。
「日本人はラップが下手だなあwww」と揶揄される事はあると思うけどね。

とりあえず、ここからはさぎし氏の言っている事を一つ一つ「ズレてない?」と批判していこうと思う。

その上で最後にまとめを書きます。




え、何でこんな記事書くかって?
気に食わないから。


人の音楽適当にDisって、他国代表みたな書き方して、クッソダセえじゃん。

あらためてリンクを貼っておくとして、ご丁寧にこの記事目次が付いているので、各章に分けて批判していこうと思う。

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『1 スタイルの追究による異様化』について

色々御託を省略して「さぎし」氏の要点を書くと、ここはまずこんな感じ。

・米津玄師やOfficial髭男dism、YOASOBIのAyaseは、凄い能力持ってて自由に音楽作るよね。

まあ、これは特に言う事ない。

因みにこのさぎし氏、この記事を都度都度、書き変え、言い換え、あとからあとから言ってることが微妙に変わってきているので、これはこの記事の投稿日時点での上記の記事への批判であることを書いておく。

尖った言葉が減ってきているようなので、後から「そんな極端な事言ってない」って言いそうだし。

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『1-2 異様化』について

まず要点を纏めるとこんな感じ。

・米津玄師『KICK BACK』、Official髭男dism『Cry Baby』、YOASOBI『アイドル』のような曲は異様。
世界の音楽は『踊れる』音楽ばかりだが、日本は昔から、
 歴史上そうではない。

日本の音楽はそんなわけで、良いとも悪いとも取らないが、
 とにかくガラパゴス化(孤立)している。

…この時点で日本の音楽に対してマイナスの印象を漂わせつつ、でも保身しつつ、という書き方はしているものの、とにかく「日本は独特、変わっている」と言いたいらしい。

もう違和感があるのは、この章で書かれているのは、少なくともさぎし氏本人が調べた歴史や事実を説明しているだけのはず。なのにやたら「プロの●●も多分こう思っている」「専門的な意見も聞きたい」といった、第三者の、我々より詳しい人の意見っぽい強調、匂わせが多いのだ。(詳しくは元の記事を見て下さい。)


本来これ、「日本の音楽は最近、他国の主流と比べて独特で、変な方向に向かっています。」で言い終わっても全く問題ない。
なのに余計な補足が付いてしまっているために、「…てアイツが言ってた。」という他人の話みたいで胡散臭くなってしまっている。

まあ、まあ。
次に行ってみようか。

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『1-3 『アイドル』の評価』について

この章は長いので、いくつかの要点に分けていきます。

まず最初。

・『アイドル』は児童向け音楽にしか聴こえない。損してると思う。
海外のチャートではこういう幼いボーカルはあまり聴かない。
私がそう感じるから、たぶん海外の人はそう感じると思う。
 なので、普遍的な音楽ではないと思う。

あ!!!!!
正体表したね!!!!!!!!!!!!

一気に厭味ったらしさが増しましたね。
先ほどの1-2でも言っていた「日本の音楽は異様」という言葉への肉付け、といった感じではありますが、書き方の印象が悪いですね。なんででしょう。

まず一つ目は、これだけ有名な原曲、アーティスト、作品に対して、明らかに違うと分かっているのに『児童向け音楽』と言い、『損していると思う』という、侮蔑に聞こえる言葉を使ったからですね。

この記事でさぎし氏は「タイアップ先のアニメや原作をすべて読んだ」とご自身で書いておりますが、その上でこの言葉をわざわざ選んでいる意味は何でしょうね。ここいる?幼い声の曲は海外では珍しい』だけでええやんけ。
まあ損得で言えばビルボード1位とこれ以上ないような大成功している事を、海外にお詳しい方が見てないはずがないんだけどね。

二つ目は、さっきと同じやっぱり「海外の人は」という代弁をいきなりし始めたから。
これはさぎし氏本人の意見であるが、
「海外の人」というメチャクチャデカい主語を「たぶん」「と思う」という、保身のもとチラつかせて、誰の何の意見かぼやけてしまっております。

『さぎし氏』の意見としての評価、見解を見に来た人に、なんで『海外の人の』意見を見せてるのさ。
海外の人の実際の意見を調査した上で、その数字なんかを踏まえて自分の意見を出しているなら立派な論評だろうけどさ。実際に海外でも人気出ちゃってメチャクチャ聴かれているんだから、その『海外の人』がどの人達かすらわかりゃしない。事実と異なる評判下げにしかなってないのよね。この書き方だと。

では次。

・ラップがひどい、下手、ビートが合ってない。聴く気が失せる。
・クラブでこのラップに遭遇したら、棒立ちになると思う
・ラップするならラップのルールを守れ

何だなんだ今度はなんだ???
ラップ?クラブ?いきなり話題変わったな。ハッキリ批判してますね。
でも、気に食わないなら全然、それ自体は悪くないと思います。むしろそれくらい正直に、ハッキリ自分の主語で書いた方がこっちも伝わるわ。

しかし、そこは「批判である」と割り切っても、ここは完全に言ってることがちぐはぐになっております。

あなたまず、さっきこう言ってたよね??

・『アイドル』は児童向け音楽にしか聴こえない。損してると思う。
海外のチャートではこういう幼いボーカルはあまり聴かない。

これ、直前に「多分狙ってやってる」と書いた上でこの人はこう言っているんだけど、児童向けで幼いボーカル曲、そもそもあなたや海外の人は普遍的に聴かないんでしょ?

んじゃその前提で話進めてみようか。

・ラップがひどい、下手、ビートが合ってない。聴く気が失せる。

何で『大人が』『普遍的に聴く音楽』としての評価をしてるの?
海外の人が幼児向けに聞こえる音楽はクラブで流さんでしょそりゃ。

主語も話の軸もブレすぎている。ブレているから、話がどこに行っても綺麗に着地せず、受け手としても色々な疑問が生まれる。
一旦ぜーんぶあなたの言う通りだとしよう。そしたら、子供向けの音楽としてどうなのかも含めて話しなさいよ。児童向け音楽で一番大事なのはそこじゃないことくらい分かるでしょうよ。

次。

・米津玄師の『KICKBACK』も同様、破天荒でカオスな音楽はデザイン性がない。
・なんでこんな急展開でないといけないのか。
・「アニメや原作の要素を取り入れているから」は私は認めない。それは個性を求めすぎて音楽として変だ

まあまずね、『KICKBACK』『アイドル』のような音楽は初めに良くも悪くも異様、と初めに言っておきながら、「デザイン性はない」「何でこんな急展開』「これは変だ」って全然文脈が繋がらない。

「変な曲は良くも悪くも変で、何でこんなに悪い変な曲なのか」って言ってることがメチャクチャじゃない?

そして結局あなた『良いか悪いかはともかく異様化』とか言ってた割に悪い意味でしかねえじゃねえか!

・「アニメや原作の要素を取り入れているから」は私は認めない。それは個性を求めすぎて音楽として変だ

いや、こんな何もかもが「推しの子』でラッピングされたこの曲をわざわざ掻い摘んで言うことか?もう一つの同列の「KICK BACK」もチェンソーマンのOP曲だし。

「何もかもがアニメのための作品ですが、アニメ部分無視して評価します。何でこんな急展開だらけで変な曲なの?」って何よ。

「カリフォルニアロールをアメリカ部分無視して評価します。何でこんな食材使って変な味なの?」って言ってるようなもんやぞ。「それはなんか違くね??」ってなるだろそりゃ。

批判したい部分以外を全部捨てて批判しとるがな。

『2 英語版の歌詞が常識外れすぎる』について


・日本版の歌詞は言い訳がかろうじてできるからまだ許せる。海外版の歌詞がとてつもなく酷い。
・押韻の最低限のルールも守っていない。
・どの国のヒットチャートにも存在しない。

ここはね〜。

まあ一番まだ、同情というか、「専門家からしたら文句は出るんだろうな」「一番ココが言いたいんだな」とは一応思える部分。
とはいえ、我々専門外、大衆側と噛み合ってないんだよな。

ここは一応共感してあげると、このさぎし氏の専門分野、押韻論と、押印論から見える英語圏への知識があればまぁうっっすら批判している事も分からんでもない。それでも、どれだけ話を大きくしても『マナーを知らないからマナー違反』と言っている程度の意味にしかならないんですわ。

そりゃマナーを守るのは大事だけど、「ああ、お箸の持ち方知らないんだな、でもまあアメリカ人にとっては難しいよな」みたいな、互いに歩み寄れる範疇なんですわ。
「箸の持ち方知らないなら日本来るなよ」なんて言わないでしょ?
そんなこと言う奴は煙たがられて終わり。残念ながらそういう事を言ってしまっている。

加えて、前項までに「児童音楽だ」とか、「変な音楽だ」とかとにかく話の軸をあちこちにブラしちゃってるもんだから、「その変な音楽として狙ってだろ」とか、「児童向け音楽に言葉の質求めてんのか」とか、余計な疑念が生まれちゃって全然スッと入ってこないんだよな。


『3 まとめ』について

・『アイドル』自体は良く作られている
・が、こういう破天荒な曲は変だし内輪ノリだし聴いてて疲れるしこういうのばっか聴けない
・日常的にノれる曲ではない
・ラップはするな。押韻しないと英語への敬意がない。押韻は英語文化そのもの。

ハイハイハイハイそろそろ慣れてきたな。つまり、

『日本の変な児童向けの曲は、こればかり日常的に聴けませんね。』

こう言いたいという事になりますね。そりゃあなたは児童じゃないし。
まあ、そもそも「アニメのための曲」だから元々も日常的に聴くための音楽じゃないんだけどね。
目的も対象も間違いなく別のところにあるのに、それを見ないで言う言葉じゃないわな。

『ラップはするな。押韻しないと英語圏への敬意がない』

散々カリフォルニアロールを例え話にしてたんだけど、これってそもそもそんな魔改造されたものでもないのよ。「寿司のネタを、外国人が食べられるように全部焼き魚に変えた」レベルの話なのよね。

それが大ヒットしたのを見て、「寿司じゃねえ」「アメリカ人は変わったもの食べるなぁ」と思う人はそりゃいるだろう。でも「敬意がないな」「二度と作らないでほしいな」という怒りが本当に湧くか?いや、沸くとしてもそんなに相手の国を理解できないか?

そりゃ例えば「寿司を串刺しにしてバーベキューみたいに焼いてケチャップつけて食べてる」とかのレベルだったら「日本への敬意がない」「こんなもの日本人に見せるな」というのもまだわかるんだけどさ。違うじゃん。
「生魚も美味しいのにな」くらいでしょ。「でも普段食べない人種だからそんなもんなんだろうな」って次に浮かぶでしょ。


ハイ、以上ですべての項目の批判、完了です。
全体を通しての批判も次にやっていきましょう。

◆結局この記事は何が悪い

まず、とにかく主語がチグハグすぎる。
個人の主観なら個人の主観で堂々と書けばいいのだ。
それを余計に拡大解釈した「外国人からしたら」などに膨らませてしまった結果、誰の何の何を目的とした批判なのかが全然分からなくなってしまっている。

次に、自分の存在感を「国」「文化」レベルまでまで上げるな。大げさすぎる。
「押韻論者なんて知るか」とか言いたいのではなくて、例えこのYOASOBIが『日本の代表だ』と言って他者の作品を批判しても、大バッシングはそりゃ受けるだろう。どれだけ有名なアーティストでも、どれだけ専門分野の方でも、批判するならちゃんと自分一人の意見として言いなさいよ。「他の人も言ってる風」の匂わせも良くない!

◆んじゃ、どうすれば良かったの?

私も批判ばかりしてても何も生まないので、一応これも書いておく。

主観の意見であり、変に事実を隠さず、なるべく話の軸をブラさない。
きちんと書けば、こんなよく分からん独りよがりに聞こえる内容でもきちんと伝えたい事を人に伝えられる。

かなりざっくりだが、こんな感じでどうだろうか。
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初めに、私は押韻論という分野を研究していて、その性質上海外の文化や音楽もよく調べております。

最近、『アイドル』という曲がbillboard1位の大ヒット曲となりました。ですが、このような曲が日本の主流となってしまうことに警鐘を鳴らしたいと思います。

『アイドル』や『KICK BACK』のような曲は、⚪︎⚪︎や〜〜の歴史から、日本で独自の進化を遂げて生まれた曲です。勿論、今回のbillboard1位も、アニメや商業戦略の多大な労力の上で勝ち取った物だとは思います。

しかし、こういった音楽は海外の主流の音楽と比較すると、⚪︎⚪︎という理由で聴き馴染みもなく、「イロモノ人気」で勝ち得た曲であることはまず受け止めねばなりません。このような方法でしか人気を勝ち取れない日本の音楽に対し、私は大変な不快を感じております。

この異様な曲に加えて、○○という理由で歌詞も大変ひどい出来映えだと思います。英語歌詞に関しては特に酷く、英語のイントネーションや外国人の「聴き馴染み」を専門分野としている私からしたらとても聴きづらく、これが人気が出てしまうことを嘆いております。

その理由を少しだけ解説させていただくと、この歌詞は押韻がほとんど無い事に起因します。押韻というものは海外において⚪︎⚪︎という理由で当たり前に存在し、これがないと非常に聴きづらいものとなります。

例えるなら、どう聴いてもカタコトの外国人が、日本の演歌を「俺は完璧に歌えている」と豪語しているように聞こえる、というイメージでしょうか。もしくは、『押韻は海外の人にとって当たり前すぎて言うまでもない「常識」である』と言えば伝わるでしょうか。

日本という国にとっては、「押韻」という文化は発展しておらず、それ故に『アイドル』の翻訳歌詞もこうなったのだと思います。もしくは、アニメのテーマから狙って幼さを出した結果、このような歌詞になったかも知れません。

勿論、今回の『アイドル』は今多くの人に受け入れられています。しかし、このまま味を占め、同じような売り方で同じような『韻を踏まない歌詞と転調ばかりの曲』が流行っていくと、「日本人の落ち着かねえ音楽と汚え英語の曲ばかり、変な売り方で流行りやがって」と反感を買う気がしてならないです。

なので、まずは多くの日本人にもっと押韻の大切さを伝えたいです。
『押韻論』に関しても是非、知って下さい。
海外の歴史にも通じますし、綺麗な日本語に触れる機会にもなります。各国が分かり合える糸口となる物だと私は信じて、研究しております。

勿論、自国の文化や商業戦略、他の制作意図もあるのは分かっています。

この記事は警鐘として見ていただければとおもいます。

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…こう書けば良いだろうがぁ!?!?!?!?!?!

一応言っておくが押韻論はそこそこ面白かったわ!!!!
お前の事などどうでも良いがお前の研究すら汚してどうすんだダッセェなぁ!?!?!?

勿論、この書き方でも全然お門違いな部分はあります。『海外』なんて広い主語で、文化だの敬意だの言い始めたらそりゃカオスですわ。日本への敬意は?なんてまず思い浮かぶだろうしね。

お前の御託自体が合ってるか間違ってるかは一旦、知らん。お前らの専門分野もお得意科目も一旦知らん。
その前に、我々は『会話』という大きな分野に何十年も触れているんだから、『会話』がおかしかったらそこで不快さが出るんだわ。会話に対する、読む人に対する敬意がない。

批判というものはただでさえ争いを生むんだから、尚の事言葉を丁寧にしなさいな。

◆あとがき、感想

何にでも批判したがる人は多い。
有名なものにとりあえず唾を吐きかける人が多い。

Twitterなんかを見ていると、政治・音楽なんかは特に多い。
批判だけはするんだけれど、その割には何も生まず、責任は取らず、人の反論には耳を貸さない。特に行動にも起こさない。
けれどもそれで自分を守ったつもりで、世の中を守ったつもりで、巨悪を倒したつもりで、いつも心を満たしているんだと思う。

だけど、それは本当にその手段しかなかったのか?
『他国への敬意がない』なんてことに成り得るなら、せめてYOASOBIに直接リプライ送ったり、音楽会社に抗議の手紙を届けたりした方が良くない?そこまでではないの?と考えていくと、「ああ、大して本気じゃない、愚痴なんだな」と片付けられて、無に帰す。不快だけがそこに残る。

さぎし氏は今も上記の記事を修正し、反論し、人の話は煙に巻き、自分の言いたかったことを追加している。
だが、多分一生心地の良い着地はしないだろう。

もう読めばわかるが、この人は自分の専門分野、好きなものの尊厳を守りたいのだ。ないがしろにされるのが嫌なのだ。

だけど、その批判は半分も理解されないだろう。
自分は攻撃されたくなくて、『日本の音楽』や『海外の文化』や、『常識』などに主語を変えた結果、自分の立ち位置から逃げた結果、何が守りたいのかも、何をしたいのかも、変わってしまった。
主語が変わればそりゃただの愚痴や噂話と同じだ。

それをみんな少し考えれば、『批判する事って実は難しいんだな』と気が付く。『軽々しくやるもんじゃないな。』『批判すると批判されるんだな。』とも気が付く。

無責任に書き殴りたいなら初めにそう書いとき。
どれだけ狭い界隈でも、ここはインターネットなんだから。

まあ、そんな感じ。
長々書きましたが、みんなも他人を批判するなら覚悟を持って批判しようね。

と言うわけで、以上、クロシオでした。


回ればいいのよ元々空気