見てられないからこそ、目を背けてはいけない(子宮に沈める)

2023.05.13
子宮に沈める

ヘレディタリーと子宮に沈めるを同日に視聴するハードスケジュールな日でした。見るべき映画だなと思った。

1、親は一人ではなれない

 物語の大半はネグレクトを受けている子ども二人を定点カメラで映すシーンで進んでいく。食べるものがなくなりゴミ袋を漁ったり、トイレにも行けず排泄物を垂れ流したり、そういう場面がずっと続く。子どもを置いて男のところに行った母親に激しい怒りが湧くが、はたして悪いのは母親だけなのか。
 出産は一人ではできない。親には一人ではなれない。子どもを放置してネグレクトした母親はもちろん悪い。でも、親って母親だけなのか。一人で親になれるのか。一緒に親になったはずの父親は冒頭に出るだけで、以降一切登場しない。ラストシーンで横たわる息子と娘と裸の母が三人がいるリビングのドアがゆっくりと閉まる。「ママ遅いね」とずっと待っていた娘と同じように、母親も父親の帰りを待っていた。ネグレクトを受けた子どもと同じように、母親も夫に見放され、放置され、どうしようもなくなってしまっていた。母親はベランダから見える隣のマンションを見つめ、映画は終わる。すぐ近くのマンションでこんな地獄が起きていることに誰も気づいていない。夫からも、社会からも孤立している母親に対して、私は肯定も否定も出来なかった。


2、子どもは一人では育てられない

 親という責任を果たせなかった人間に対して世間や社会はひどく厳しいが、それは親”だけ”の責任なのか。二人で親になると前述したが、その後はどうなのか。子育てって親”だけ”でできるのか。できるわけない。親族とか、地域とか、社会とか。直接子どもに何かをするわけでなくても、そういう大きな集団で育てるものなのに、どうして育児放棄のニュースに対して「ひどい親だ」って意見が多いんだろう。ひどい親にしたのはひどい社会だからじゃないのかな。ひどい社会を構成してしまっている一人に私がいたのかな。そういうことを考えた。
 私はこの映画を観て一番感じたのは「怒り」だったんだけど、それは母親と、父親と、母親の彼氏と、そういう大人を救えなかった社会全部に怒っていたんだと思う。一体誰が好き好んで子どもを死なせたんだ。母親も父親も悪いけど、じゃあ彼ら以外悪くないのかってそんなことないだろう。ワンオペせざるを得ない環境、母子家庭の母親の働きにくさ、そういう社会にしているのは大人全員に責任がある。親には子ども育てる義務があるけど、社会には全ての人間が生きていくことを支える義務がある。あの家の扉をぶっ壊して子どもにご飯をあげ、風呂に入れ、抱きしめることだけが「助ける」じゃない。何もなせなかった親と、社会に怒りを感じた。



3、目をそらすな
 この映画は所謂「鬱映画」として有名で、視聴前からネットの至る所で作品名を見ていた。前情報を知ったうえで今回視聴したし、視聴後ネットのいろんな感想を見たけど、私の思っていることと近い感想が少なくて、やっぱり自分で見ないと分かんないことってあるんだなと再確認した。
 ネットでは「見るのがキツイ」「途中で視聴をやめてしまった」「(視聴前だけど)この映画はしんどいから絶対見れない、見ない」「見なきゃよかった」という感想がいくつか見られた。その感想に対して違和感を感じる。なんで「見なきゃよかった」なの?なんで「しんどいから見ない」なの?「感想:怒り」になった原因はきっとこの実社会と自分の考えのズレにもあると思う。

 この映画には元になった実際の事件がある。本編のカメラワークは登場人物の顔をフレームの外にしていることが多い。母親の名前も父親の名前も出てこない。それらは、「映画はフィクションでも、育児放棄はフィクションじゃない」「実際に今日本のどこかで同じような状況の母親が、父親が、子どもが存在している」ということを痛いくらいに伝えてくる。育児放棄が全く存在しないと思っている人なんてきっといないし、世界や日本のどこかで厳しい生活を強いられている子どもや親がいるということは皆分かっていて、分かった上で「見てられない」って、都合が良すぎないか…?

 哲学者のピーター・シンガーの著書『The Life You Can Save: Acting Now to End World Poverty』(邦題『あなたが救える命: 世界の貧困を終わらせるために今すぐできること』勁草書房刊)で、寄付についての思考実験がある。「目の前で溺れ死にそうな子どもがいる。この子どもを助けるとあなたの買ったばかりの高価な靴はだめになってしまう。子どもを助けるか?」というものだ。人によって答えは違うだろうが、助けると答える人が多いのではないか。でも、世界のどこかで死にそうになっている子どもには何もしない人がほとんどだ。この思考実験は極端な例だし、目の前の溺れ死にそうな子と世界のどこかの子とを対等に見ることはできないというのも分かる。寄付をすることが全てではないし、寄付をしないことが悪ではない。

 でも、育児放棄されている子どもが今も、日本にも、存在していることを分かっている上でこの映画に対して「(見ている自分が辛かったから)見なきゃよかった」「(見ると辛い気持ちになるから)見ない方がいい」と言うのは、あまりにも自分に都合が良すぎると私は感じた。憤りさえ感じている。育児放棄が発生してしまう社会を作っている一因に自分がいる。お金が出せなくても、直接的に子どもと関わることがなくても、あなたが良い社会に向けて行動することが、間接的に育児放棄を救うことになることだってある。自分の視界に入っていない問題を、見ないことで考えようとしないことはよくないんじゃないかな。映画を観ただけで、知っただけで理解することなんて絶対にできない。そんな簡単に解決する問題じゃない。私が思っていることもきっと綺麗ごとだ。それでも、知って、感じて、考えて、行動したことに意味はあると信じたい。
 この映画を見るのは楽しくはない。嬉しくもない。辛いし、しんどいし、目をそむけたくなる。それでも、目を背けてはいけないと思う。『子宮に沈める』は間違いなく「見るべき映画」だ。見た後に、我が子を大切にしようと思うでもいい、育児放棄について調べるでもいい、職場の育休・産休の人をサポートするでもいい、とにかく「この問題に対して、私は何ができるか」を考えることが大事だと思う。そういうことを考えるきっかけになる映画だ。すごい力をもった作品だと思う。一人でも多くの人がこの作品に触れて、社会で子どもを幸せにしていけたらいいなと思う。






4、なにが出来るのか
 この映画を推奨している「オレンジリボン運動」という、子ども虐待防止運動がある。(https://www.orangeribbon.jp/)私はこの映画を通してはじめて知った。寄付やグッズ販売もしている。先ほど寄付をしたが、クレジットカードでできるので、ネット環境とクレカがあれば誰でも簡単にできる。たくさんの人の目に留まるといいなと思う。


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