見出し画像

音楽の不変性

2021.06.12

前日にスマホのバッテリーと日焼け止めを買った。色味が派手すぎるため普段は使えないバケットハットを箪笥の奥から引っ張り出した。ガソリンを入れて、車にペットボトルのお茶を載せておいた。バンドのTシャツを着た。

一つ一つの行動が、久しぶりで、愛おしくて、幸福で、あぁフェスに行けるんだなと噛み締めながら準備をした。


森道市場2021。緊急事態宣言が延長されてどうなるか不安な中、開催を決意してくれた運営陣の方々には頭が上がらない。私にとって2年ぶりの野外フェスだった。

never young beachのライブも、2年ぶりだった。久しぶりの彼らははじめてのフェスのトリだと喜びながら、トリならではのセトリと雰囲気で、普段のネバヤンとはまた少し違うライブをしてくれた。ヌーディでしっとりとしたネバヤンだった。”夏がそうさせた”そう、安部勇磨が歌った瞬間に、生温い塩風も、夕日が雲越しに透けている空も、肌を柔らかく撫でる空気も、ぜんぶ夏のものになった。思いの丈や、自己表現としての音楽の在り方も素敵だけれど、ネバヤンの日常を真っ直ぐに伝えてくれる歌詞と曲が好きだ。飲めない珈琲や生乾きの髪や等身大の生活が、当たり前でそれが愛おしい。少年のように駆け回る安部さんが眩しくて、音楽に全部委ねられるこの時間がとにかく幸せだった。


私は高校生の時に初めてライブに行って、今はもう社会人だ。あの時と自分の状況も周りの環境も何もかも違う。もう制服に袖を通すことはないし、自転車に乗って駅まで走ることもない。気怠げに車を運転しながら、髪をそろそろ染めたいななんて考えて出勤する日々だ。そして、社会だって変わった。当たり前のようにできていたことができなくなっていく毎日。終着点の見えない日々。目まぐるしく変わっていく私と社会とに振り回されて生きている中で、音楽はずっとずっと、変わらずそこにある。はじめてネバヤンの明るい未来を聞いた時から何年も経っているけど、森道市場で聞いた明るい未来は変わらず幸福な曲だった。私はずっと、そういう音楽の不変性に救われている。この先きっと何があろうと、私と社会がしっちゃかめっちゃかになって変わろうと、曲とアーティストとがそこに在る限り、音楽は変わらず私の側にいてくれるだろう。その揺るぎない事実が、とてつもない安心感を与えてくれる。挫けても負けてもぼろぼろになってもうだめだと思っても、そこに音楽は在る。

それが嬉しくて、愛おしくて、幸せで、救いだ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?