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わたしたちは、なぜ「会う」のか|コロナ時代にあえて場をつくる①


わたしたちは、なぜ「人に会う」のでしょうか。

感染症災害の蔓延によって、くしくも、オンラインの価値が見いだされました。地方の格差だったイベントなど人や情報と出会う機会が、オンラインイベントなどによって平等化される。遠方との取引や事情を抱えていることなどによる仕事の困難が、オンライン会議などによって解消される。わたしたちの暮らしは、デジタル技術によってデラックスになりつつあります。

その輝きをよそに翳りゆくのが、人が集まることによって力を発揮していた運動です。それらは、集積力のある場こそが強みでありました。そこに集うめいめいが、濃密なコミュニケーションをする。それを発生させるために、コミュニティをデザインしたり、にぎわいをつくろうとしたりする。そう、ほんの少しまえまでは、密こそが正義だったのです。

しかしもう、そうした行為に義はありません。いまはもう、否応なく集まれるのであれば、社会的な距離を守り、マスクを着用し、体温を測って、消毒を繰り返すことになります。いや、そんなことよりも、会ってはいけない。この時代に人と会うということは、無言の圧力と対峙することになります。だからもう、オンライン生活で良いではないか。ああ、1年間でこんなにも世界が変革するなんて、だれが予想していたでしょうか。


だが、しかしです。

たとえそうだとしても、わたしは、人々が場所を共有することで生まれる尊い力を信じています。オンラインにより、驚くほど生活は便利になった。それにもかかわらず、このコロナ禍で繰り返し語られたのが、対面の価値です。場所の意味です。まるで秘密の告白かのように、そのことが語られていきました。

確かにもう、密度の高い集会を催行することはできません。密度の高い集会は、高い収益性と密接に関係しております。人が集積が足りないというのは、場の持続可能性も危ぶまれるのです。だかしかし、それでも、わたしは同志とあらたな場所をつくろうとしています。

いま、新型コロナウイルス感染症の感染拡大により、弱い立場にある人たちが苦境に立たされています。就職を控えた学生は、採用の抑制や休止により大きな不安を抱き、夢が断たれかけています。不安的な就労を余儀なくされていた方々は、住み込み労働の雇い止めや家賃の滞納により、住居喪失に追い込まれることもあります。こうした困難に立ち向かっていく場所が、集積力に代わる、あたらしい場の力ではないかと考えるのです。

支え合う。

もう一度、この言葉を問い直したいと思います。人は、それぞれに困っていることが異なります。相互に困りごとを持ち寄り、互いに「なんとかしなきゃ」と思い合い、思い合える仲間たちと助け合っていく。この「お互いさま」によって強化されていく力が、困難を乗り越えていく希望になると信じています。

逆境を目の前にして、不可能性を語るのは簡単です。わたしたちは、こんな時代だからこそ、ここに可能性を語り、わたしたちが愛してやまない場の力を信じて前に歩みだそうと思います。苦しいこともあるだろう。泣きたくなるときもあるだろう。だが、しかしである。

ここで、わたしたちが取り戻そうとする性質を、「野性」と呼ぶことにしました。

この言葉を携えながら、場所の意味を探る旅をしています。4回目になる話し合い「奇跡を協同購入する|わたしたちは何が欲しいのかを問い直すMTG」は、3月6日の18時からです。みなさんと一緒に、意味をめぐる冒険ができることを楽しみにしております!


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