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『稲盛和夫一日一言』 6月14日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月14日(金)は、「苦難と僥倖(ぎょうこう)」です。

ポイント:苦難あるいは僥倖、いずれの「試練」に遭遇しても、決して自分を見失ってはならない。日々研鑚に励むことによってのみ、人間は大きく成長していくことができる。

 2016年発刊の『稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿』(稲盛和夫著 ダイヤモンド社)の中で、日々目の前で起こる出来事にどう対処していくべきかについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 私たちの人生が、運命と因果応報の法則で決まっているとするならば、私たちは日々どのような態度で対処していけばいいのでしょうか。

 お釈迦様が「諸行無常」という言葉で表されたように、自分の目の前に起こってくるあらゆる現象は、変転極まりなく常に千変万化(せんぺんばんか)しています。よかったと思えば悪いことが生まれ、健康だと思っていたのに急に大病を患ってしまったりする。

 かくの如く人生は波瀾万丈であり、諸行無常です。無常なるが故に苦なり。つまり、一定でなく、波瀾万丈なるがために、人生は苦であり苦行なのだ、とお釈迦様は言っておられるわけです。

 それでは、私たちはどういうふうに考え、どのような態度で自分の人生に処していけばいいのでしょうか。すさまじい災難と思えるようなことにも遭遇するし、仕事が順調にうまくいくという素晴らしくラッキーな目にもあう。そうしたいずれの場合にも「感謝をする」、つまり苦難に遭遇しようとも、ラッキーな目にあおうとも、「感謝をして生きる」ということが大事なのです。

 しかし、災難に遭ったとき感謝をするということは、なかなかできることではありません。恨みつらみが先に出るのが人間だからです。
 一方、良い目にあったとき、皆さんは果たして感謝できるでしょうか。自分だけが幸せになってもいいのだろうか、この幸せをできるだけ周囲の人たちにも分けてあげたいという気持ちにはなかなかなれないものです。
 なぜなら、人間の欲望には際限がないからです。もっともっとと、さらに欲望を肥大化させてしまうのが、悲しいかな、人間の性(さが)です。

 ですから、どのような運命に出会おうとも、嘆かず、恨まず、腐らず、愚痴をこぼさず、ただひたすらに前向きに明るく努力を続ける。そして、謙虚にして驕らず、さらに努力を重ね、感謝の念で日々を送る。そうした気持ちで人生に対処していくことが大切なのです。

 運命はもともと決まっているかもしれませんが、素晴らしい人生を得ようと思えば、その運命にただ従うのではなく、善きことを思い、善きことをしていこうと努める、それが一番いいのです。
 どんな災難に遭おうとも、どんなラッキーに恵まれようとも、そのことに感謝し、驕りたかぶらず、真面目に明るく一生懸命に生きていくこと。
 それが素晴らしい人生をまっとうする秘訣なのです。
(要約)

 日頃あまり使われない言葉ですが、「僥倖」には、「思いがけない幸い、偶然に得る幸運、幸運を願い待つこと」といった意味があります。まさしく「ラッキー」といえるようなものだと思います。

 今日の一言には、「苦難に対しては真正面から立ち向かい、さらに精進を積む。また成功に対しては、謙虚にして驕らず、さらに真摯に努力を重ねる。そのように日々たゆまぬ研鑚に励むこと」とあります。

 名誉会長は盛和塾でそうした趣旨の話をされるとき、次のように説明されています。
 
 こうした話をするのは、皆さんがそれぞれの人生の道を踏み誤らないようにするためです。

 経営者は、仕事を通じて、従業員、お客様、株主に対する責任があります。そのため、事業を失敗することは許されませんから、それこそ必死で生きていかなければなりません。
 私たちが人生を間違ってしまえば、それは自分の間違いだけでは済まされず、従業員にもたいへんな不幸を招きますし、お客様にも株主にも不幸を招くことになります。経営者は自分ひとりだけの人生を歩んでいるわけではないのです。

 また私たちは、自分の考え方一つで事業がうまくもいき、失敗もするということを日常茶飯見ています。
 だからこそ、いつの時代にあっても、「驕る平家は久しからず」なのです。事業を通じて、人間性を高めていくことが最も大事だと思っています。
(要約)

 経営者に限らず、私たち一人一人が、日々自分の目の前に起こる出来事に対して、(一喜一憂しながらも・・・)真摯な気持ちで臨もうとする姿勢を決して失わないこと。

 命が途切れようとするまさにそのとき、「自分の人生、捨てたもんじゃなかったな」と心底思えるくらい、懸命に生き切りたいものです。


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