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『稲盛和夫一日一言』 2月4日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月4日(日)は、「自然の摂理」です。

ポイント:必死に一生懸命生きていかなければ生き残れないのが、自然界の掟。生きていくために「誰にも負けない努力」で働く、それが自然の摂理。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「六つの精進 誰にも負けない努力をする」の項で、「一生懸命に生きることが自然の摂理」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人は誰でも、自分は努力をしている。頑張っていると主観的に考えがちです。しかし、本当に素晴らしい人生を生きていこうとするならば、人並み以上に努力を払い、仕事に一生懸命打ち込むことが大切です。

 春先に近所を散歩すると、わずかしか土がないようなところにも、雑草が精いっぱい春の息吹を吸い込んで芽を出しています。やがてその雑草は、花を咲かせ実を結びます。
 短い春の間に芽を出し、葉を広げ、太陽の光を精いっぱいに吸い込んで花を咲かせ実をつける。つまり、子孫を残す準備をして枯れていくわけです。

 そうした雑草は、精いっぱい競い合うように互いに背伸びをして生きています。他の雑草よりも少しでも太陽をいっぱいに浴びたい、光合成してもっともっと大きくなりたいと、一生懸命にもがいています。ですから、道ばたの草むらは、みるみるうちに深い草むらへと変わっていくのです。

 しかし雑草たちは、決して相手を打ち負かすために一生懸命生きているわけではありません。自身が生きていくことに一生懸命になるように、自然はつくられているのです。
 それは、植物にしても動物にしても同じです。必死に一生懸命に生きていかなければ、生き残っていくことはできない。それがこの自然界の掟なのだと、私は思っています。

 ところが、我々人間は、「誰にも負けない努力をする」「一生懸命に生きる」「一生懸命に働く」ということを聞くと、なにか特別なことのように感じてしまいますが、決してそうではありません。

 自然界を見れば明らかなように、動物でも植物でも、命のある限り、精いっぱい一生懸命に生きているのですが、人間だけが邪(よこしま)な考えを持ち、楽をしたり、暇な時間を過ごしたりして生きています。

 普通の人生をおくるにしても、一生懸命に生きなければならないのです。それが自然の摂理です。ましてや、事業を成功させ、立派な会社にするためには、なおさら一生懸命働かなければなりません。
 そのことを忘れてしまった人間は、実は大きな不幸を招いているんだと思います。

 京セラは技術もなければ、人材もいないという中でつくった会社でした。創業時の二十八名は、とにかく一生懸命に、誰にも負けない努力をしていかなければ生き残っていくことはできないと思い、朝早くから深夜にいたるまで、必死に努力をしました。
 考えてみると、それは何も特別なことではなかったように思います。人生を生きていくことを思えば、一生懸命に生きることは当たり前のことなのです。
 当たり前のことを当たり前のようにやったから、今日の京セラがある。私はそのように思っています。
(要約)

 京セラ在籍40年の間、「あなたはずっと誰にも負けない努力を続けてきましたか?」と問われると、とても「ハイ!」と即答することはできません。
 どちらかと言えば、「あのときもっと頑張っていれば、いい成果を出すことができたのに・・・」と後悔することのほうが多いように思います。

 しかし、その中でもあの仕事だけは「誰にも負けない努力をしたのでは」と思えるような案件がいくつかあるのも、また事実です。
 「一生懸命に生きることが自然の摂理」だと誰かに教わったわけではありませんが、京セラに勤めて一生懸命仕事に向き合っているうちに、自然に身についた人生訓ではないかと思っています。

 「誰にも負けない努力をする」
 まさに、『言うは易く行うは難し』の典型ともいえる心構えの一つではないでしょうか。


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