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『稲盛和夫一日一言』 7/4(火)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 7/4(火)は、「労働の価値と意味」です。

ポイント:働くということは、人間にとってもっとも深遠かつ崇高で、大きな価値と意味を持った行為。

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、「よく生きる」ためには「よく働くこと」が大切だとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 「労働の意義は、業績の追求にのみあるのではなく、個人の内的完成にある」
 この言葉は、「働くということの最大の目的は、労働に従事する私たち自身の心を錬磨し、人間性を高めることにある。つまり、ただひたむきに、目の前の自分のなすべき仕事に打ち込み、精魂を込めて働くことで、私たちは自らの内面を耕し、深く厚みのある人格をつくりあげることができる」ということを意味しています。

 「働くことが人をつくる」、すなわち日々の仕事にしっかりと励むことによって自己を確立し、人間的な完成に近づいていく。そのような例は、古今東西を問わず、枚挙にいとまがありません。

 西洋社会には、もともとキリスト教の思想に端を発した「労働は苦役である」とする労働観があります。そのため、欧米の人は、働くことは苦痛に満ちた忌むべき行為であり、「仕事はなるべく短時間で済ませて、なるべく多くの報酬を得たほうがよい」と考える傾向があります。

 しかし日本には、もともとそのような労働観はありませんでした。それどころか、働くことはたしかにつらいことも伴いますが、それ以上に、喜びや誇り、生きがいを与えてくれる、尊厳ある行為だと考えられてきたのです。
 そのため、かつての日本人は、職業の別を問わず、朝から晩まで惜しみなく働き続けました。

 それは、働くことが単に技を磨くのみならず、心を磨く修行でもあり、自己実現や人間形成に通じる「精進」の場であるとする、深みのある労働観、人生観を、多くの日本人が持っていたからと言ってもいいでしょう。

 しかし近年、社会の西洋化に伴い、日本人の労働観も大きく変貌を遂げてしまいました。それが、「働くのは、生活の糧を得るため」という、労働を必要悪ととらえる考え方です。

 私は、「人間は自らの心を高めるために働く」と考えています。「心を高める」ことは、お坊さんが長年厳しい修行を努めても到達できないほど難しいことなのですが、働くということには、それを成し遂げるだけの大きな力があるはずです。働くことの意義はそこにあるのです。(要約)

 これは、『働き方』第1章 「心を高める」ために働く ーなぜ働くのか  ーに記載されている内容の一部です。

 今日の一言には、「労働には、単に生きる糧を得るという目的だけではなく、欲望に打ち勝ち、心を磨き、人間性をつくっていくという副次的な機能がある」とあります。

 その背景には、人が易きにつき、驕り高ぶるようになってしまいがちなのは、人間が煩悩(ぼんのう)に満ちた生き物である、とする仏教的な考え方があります。
 そのような人間が心を高めていこうとするときに大切なのが、悪しき心を抑えるということです。人間は、常に「三毒」、いわゆる「欲望」「怒り」「愚痴」の三つの卑しい心、煩悩に振り回されて生きている因果な生き物なだからです。

 こうした三毒を完全に除去できないまでも、その毒素を薄めるように努める上で最も有効な方法が、一種懸命に働くことです。目の前の仕事に愚直に取り組むことで自然と欲望は抑えられ、夢中になって打ち込むことで、怒りを鎮め、愚痴を慎むこともできます。そうしたことを継続することで、少しずつではありますが、自分の人間性も高められるはずです。

 「働くこと=修行」 健康を維持しつつ、どんな形であれ、働き続けていければと思っています。


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