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『稲盛和夫一日一言』 1月13日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 1月13日(土)は、「一歩一歩前に進む」です。

ポイント:地に足の着かない栄華が長く続いたためしはない。大切なのは、正しい道を踏みしめて、一歩一歩前に進むこと。

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「一歩一歩夢を実現する」の項で、一歩一歩、自分の足で歩いていくことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 若いころは、人生で偉大なことを為し遂げたいという夢を持つものです。すべての若者がそのような夢を持つように、大いに奨励すべきでしょう。
 ただ、偉大なことを為し遂げるには、日々、身を粉にして働かなければならないということも、若い人たちは理解すべきです。

 努力が伴わなければ、いくら大きなビジョンも単なる夢に留まってしまいます。努力、それも意味のある努力を弛まず続けることなしに、価値ある目標が達成されることはありません。

 人生の旅路には、近道も、また楽々と飛んでいける魔法の絨毯(じゅうたん)といったものはないのです。自分の足で、一歩ずつ歩いていかなければなりません。
 このまどろっこしい、慎重なやり方では、長い道のりを歩き続けるのは不可能に思えるかもしれません。また途中で、「このペースでは偉大なことなど為し遂げることはできない」と悩み始めるかもしれません。それでも決して焦ってはいけません。

 小さな歩みの一歩一歩が積み重なり、相乗効果を生み出していきます。日々の地道な努力が生む小さな成果は、さらなる努力を生み出す原動力となり、さらにより大きな結果をもたらしてくれます。
 諦めずにそうした努力を続けていけば、いつかは信じられないほどの高みにまで、私たちを運んでくれるはずです。

 個々の人生においても、企業経営においても、「一歩ずつ弛みなく歩む」ということが、夢の実現に至る、唯一つの確実な方法なのです。(要約)

 今日の一言には、「手練手管(てれんてくだ)を駆使し奇策を弄して、付焼刃(つけやきば)の成功を収めたとしても、地に足の着かない栄華が長く続いたためしはない。大切なのは、正しい道を踏みしめて一歩一歩前に進むこと」とあります。

 「正しい道を踏む」ということに関して、2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)第七章 王道 の中で、名誉会長は次のように述べられています。

 国の内政も外交も、基本となるのは「正道を踏む」ことです。
 策略をもって相手を貶(おとし)めようとすれば、同じ仕打ちがこちらにも返ってきます。力をかさに着て我(が)を通せば、人の心は離れます。また相手の顔色をうかがい迎合すれば、信用は得られません。

 それは、国と国との関係も同じです。毅然(きぜん)とした態度で臨み、正道を踏むことによってこそ、本当の信頼関係を築くことができるのです。

 西郷がいうところの「正道」とは、我が国にとって正しい、また自分にとって正しいということではなく、天に恥じることのない、「人間として正しい道」という意味です。(要約)

 ここでは、国家として踏むべき道は「正道」しかありえないと説かれているわけです。

 また西郷は、「事には上手下手あり、物には出来る出来ざる人ある」という言葉を残しています。
 本来、正道を貫くには、「上手下手」や「出来る出来ない」ということはないはずなのですが、人間は困難に遭遇すると、すぐに「もっとうまくやる方法はないものか」と方法論に走り、ついつい楽な道を探してしまうものです。そういう安易な道を選んではならない、と戒めているのでしょう。

 それは、「正道を踏むことで、人は必ず報われる」ということを、西郷自身が信じていたからに他なりません。

 連日の自民党裏金疑惑報道で次第に明らかになってきているのは、少なくともキックバックを受けていた多くの議員たちも、また裏金をプールして金権政治をはびこらせるための温床を大事に育ててきた派閥領袖の面々も、みな「正道」を意識することすらなく生きてこられた、あるいはどこかですっかり忘れてしまっている、という事実ではないでしょうか。

 私たち一人ひとりが「正道を踏む」ことの大切さを改めて認識し、生涯を通して実践し続けていきたいものです。


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