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『稲盛和夫一日一言』 3月28日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 3月28日(木)は、「一つを究める」です。

ポイント:一つのことに打ち込み、それを究めることによって、人生の真理を見い出し、森羅万象を理解することができるようになる。

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSION- 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「ひとつのことに打ち込む」の項で、ひとつのことを究めることは万般に通じるとして、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 ひとつのことに打ち込んで、それを究めれば、人生の真理を見い出し、森羅万象を理解することすらできるようになると思います。

 例えば、長年仕事に打ち込み、何か卓越した技術を習得した人は、人生について素晴らしい話を聞かせてくれます。
 また、修行を重ね、人格を磨いてきたお坊さんは、教義に無関係な分野の話をされても、素晴らしい心理を説かれます。絵画、著述等、何でも一芸を究めた人の話には、同様の含蓄があります。

 残念ながら、学校を卒業したばかりの若い人たちは、地味な仕事ばかりさせられていると、それに辛抱できなくなります。
 自分の仕事にどのような意義があるのだろうかと疑問に思い、他のもっと責任のある仕事をさせてほしいと言い出します。しかしそういう人は、何をしても決して満足することはないのです。

 もし広くて浅い知識しかなければ、それは何も知らないのと同じことです。ひとつの技や分野を深く追及することにより、すべてを知ることができるのです。
 ひとつのことを究めるということは、すべてを理解することなのです。すべてのものの奥深くにこそ、真理があるのです。
(要約)

 2012年発刊の『京セラものづくりの心得を語る』(伊藤謙介著 京セラ経営研究部編/非売品)の中で、ひとつのことを究めることの難しさと意義について、伊藤元京セラ会長は次のように述べられています。

 佐賀県伊万里市で行われたセラミック関連の学会で、有田焼を代表する陶芸家である酒井田柿右衛門さん(十四代柿右衛門)の特別講演を聴く機会がありました。

 十四代は、その講演で次のような話をされました。
 「柿右衛門の特徴は、白生地に赤絵が描かれているところにあるのですが、私が最も大事にしてきたのは、やや光沢を失った乳白色の生地を、初代がつくったのと同じようにつくり続けることでした。
 白色の釉薬でつくる生地が透明で光っていたのでは、赤絵が映えません。少し濁っていて、やや光沢を失っている乳白色の生地だからこそ、赤絵があざやかに映えた素晴らしい陶磁器に仕上がります。私たちは、代々そうした努力を連綿と続けてきたのです」

 十七世紀に生産が始まったとされる柿右衛門様式の素晴らしさは、赤い絵付けの部分、つまり赤絵にあるのではなく、実はその生地(きじ)の部分、濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地にこそあるのだとされています。

 初代がつくったものと同じ色をつくり続けることがいかに難しいことか。
 四百年の間に、釉薬の原料となる土の中には、産出量が減ったり、まったく採れなくなってしまったものもあったでしょう。
 同じ色合いを出し続けるためには、新たな土を探し出し、配合比率や焼き付け条件を工夫するなど、試行錯誤が続いてきたに違いありません。

 そこには、伝統をかたくなに守り続けていくことに対して、自らの命をささげておられる気概のようなものが感じられました。
 そうまでして伝統が守り抜かれてきたからこそ、柿右衛門の窯から生み出される作品は、今なお世界を代表する焼き物であり続けられるのではないかと思えたのです。
(要約)

 また伊藤元会長は、次のような言葉で一つのことを究めことの大切さを説かれています。
 「井の中の蛙(かわず)、大海を知らず、されど天の深さを知る」
 これは、「井戸の底に住むカエルは広い海を知らない。しかし、井戸の底から小さな空を眺め、懸命に生き抜くことで、物事の真理に通じていく」ということを意味しています。

 自分の人生を深堀りしていくことで、万般に通じる真理を得ることができるのだと信じて、今日一日を精いっぱい生き抜いていきたいものです。


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