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『稲盛和夫一日一言』2/12(日)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2/12(日)は、「素直な心 ②」です。

ポイント:「素直な心」とは、自分自身のいたらなさを認め、そこから努力を始める謙虚な姿勢のこと。自分にとって耳の痛い言葉こそ、自分を伸ばしてくれるものだと受け止める謙虚な姿勢が必要。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の「素直な心を持つ」というフィロソフィ項目で、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 素直な心とは、自分自身の至らなさを認め、そこから努力するという謙虚な姿勢のことです。
 とかく能力のある人や気性の激しい人、我の強い人は、往々にして人の意見を聞かず、たとえ聞いても反発するものです。しかし、本当に伸びる人は、素直な心を持って人の意見をよく聞き、常に反省し、自分自身を見つめることができる人です。
 そうした素直な心でいると、その人の周囲にはやはり同じような心根を持った人が集まってきて、物事がうまく運んでいくものです。
 自分にとって耳の痛い言葉こそ、本当は自分を伸ばしてくれるものであると受けとめる謙虚な姿勢が必要です。

 仏教では、修行をするにしても、働くにしても、一生懸命に行う、つまり「精進」することが求められます。
 しかし、自らの欲望のみを追いかけてひたすら努力したとしても、その成功は長続きしません。人間の欲望には限度がありませんから、ほどほどにという意味で「足るを知る」ことが大切です。
 世の中を良くするためにもっと働きたいというような美しい心で描く願望であれば、限度がなくても構いませんが、個人的な欲望については、できる限り抑える努力をすべきです。
 ですから、この「素直な心を持つ」という言葉の意味は、決して卑屈になって現状に甘んじるということではないのです。(要約)

 2001年発刊の『PHP文庫 実践経営哲学』(松下幸之助著 PHP研究所 1978年刊行作品)の「素直な心になること」という項で、松下幸之助さんは次のように述べられています。

 経営者が経営を進めていく上での心構えとして大切なことはいろいろあるが、いちばん根本になるものとして、私自身が考え、努めているのは素直な心ということである。

 そうはいうものの、素直な心になるということは決して容易ではない。人間には好き嫌いといった感情もあれば、いろいろな欲もある。それは人間に本来備わっているもので、それをまったくなくすことはできない。それをなくしてしまえば、人間が人間でなくなってしまう。
 したがって、そうした事故の感情なり利害というものに、ともすればとらわれがちになるのも人間の一つの姿である。


 だから、何ものにもとらわれないということは、言うは易くして、行うはきわめて難しい。しかし、難しいからこそ、それだけ素直な心が大切なのであり、その涵養(かんよう)、向上に努めなければならないのである。(要約)

 自分にとって耳の痛い話が出てくると、少しでも早くその場を離れたくなって心が落ち着かなくなります。
 そんなとき、「この言葉こそ自分を伸ばしてくれるものだ」と素直に受け止めてしっかり心に刻むことができるかどうかで、自身の成長速度も違ってくるのではないでしょうか。

 いくつになっても、人の意見を感謝の気持ちを持ってよく聞き、常に自省し、自分自身を見つめ直すことのできる「素直な心」を持ち続けていたいものです。


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