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『稲盛和夫一日一言』 8月3日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 8月3日(木)は、「有意注意 ①」です。

ポイント:「有意注意」とは、自分で意識を向ける、意を注ぐということ。どんな些細なことであっても、意識を集中して物事を考えることができるよう、習慣づけることが大事。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究哲学課編/非売品)の中で、「有意注意で判断力を磨く」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 「有意注意」とは、「意をもって意を注ぐ」、あるいは「意識して注意を向ける」ということです。これに対する「無意注意」とは、例えばどこかで音がしたので反射的に振り返る、というような意識の使い方です。
 そのような気の注ぎ方ではなく、自ら能動的に一生懸命意識を集中させる、それが「有意注意」という言葉の意味するところです。

 
 最初は非常に難しいことのように思えますが、そうしたことを日ごろから意識的に続けていると、それが習慣になっていきます。すると、あらゆる状況下で気を込めて現象を見つめるという基本ができていますから、何か問題が起こっても、すぐにその核心をつかまえて解決できるようになります。
 
 思想家 中村天風(てんぷう)師は、「有意注意の人生でなければ意味がない」と説かれていて、「どんなに些細だと思えるようなことでも、常に真剣に考える習慣をつけなければならない」と言われています。

 日ごろからどんなに些細なことでも真剣に考えるような人は、常に感覚が研ぎ澄まされていますから、いつでも迅速に、しかも的確な判断が下せるようになっていきます。逆に、そのような習慣が身についていないと、いざというときにどうしても浅く薄っぺらな考えしか出てこないのです。
 
 そうした判断は、過去に同じような経験をしたことがあるので特に考えなくても分かる、といった類のものではなく、そこに意識を向けた瞬間に、ものすごい速さで思考が回り始め、たちまちのうちに最良の策を考えつく、といったものです。
 そして、それができるかどうかは、頭の良し悪しとは関係ありません。最初のうちは頭の回転が遅く、あれこれと迷いながらであっても、それを十年、二十年と繰り返しているうちに、素晴らしい冴えを発揮できるようになっていきます。

 たとえ細かいことであっても、集中して深く考え、判断を下す、という習慣をぜひ身につけていただきたいと思います。そうすれば、判断力は必ず研ぎ澄まされていくはずです。(要約)

 私は、京セラに入社するまで「有意注意」「無意注意」という言葉を知りませんでした。しかし、新規セラミック材料の研究開発に従事するようになって、この「有意注意」という行為の大切さを痛感させられることとなりました。

 ある実験を行い、出てきた結果を評価し、そこから得られた知見を基にまた新たな実験を計画する。そうしたことを日々繰り返し、最終目標として設定した特性値を追求していく、そんな仕事を長く続けました。

 しかし、出てきた結果をただ漫然と眺めているだけでは、次にどこを向いて進めばいいのか、さっぱり分かりません。
 また、どこかに目標達成のためのヒントとなる結果が出ていても、それを見逃してしまえば、次の実験でさらに深い迷路に迷い込んでしまうことになります。

 よく名誉会長は、「有意注意で仕事をしていると、数字のほうから目に飛び込んでくるようになるはずだ」と言われていました。
 この場合の数字は、例えば実験結果における特徴的な数値であったり、また経営数字の集計ミスであったり、あるいは文章中の誤字/脱字であったりと、その内訳はさまざまなのですが、そこにあること自体が場違いな数値や文字を瞬時にして見極められる。そうした状況に至るまで、目の前の対象に意を注ぎなさい、という教えであろうと理解しています。

 京セラ在籍40年でどれだけ習慣化できたかどうか自信はありませんが、今後とも「有意注意で判断する」ということを続けていければと思っています。

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