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『稲盛和夫一日一言』 6月15日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 6月15日(土)は、「哲学を求める」です。

ポイント:人格が未熟で、指針とすべき哲学が不足していれば、才覚があればあるほど、せっかくの高い能力を正しい方向に活かすことができず、道を誤ってしまうことになる。

 2007年発刊の『人生の王道 西郷南洲の教えに学ぶ』(稲盛和夫著 日経BP社)の中で、人間が正しく生きていこうとするうえで持つべき普遍的な哲学について、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 今こそ、日本人一人ひとりが、精神的豊かさ、つまり美しく上質な心をいかにして取り戻すかを考えなければなりません。年齢を問わず、すべての日本人が改めてその品格、品性を高めることができれば、日本は世界に誇る上質な国民が住む国として、再び胸を張れるようになるはずです。私はそれこそが、真の日本再生であると考えています。

 そのようなことを思うとき、かつてとびきり美しく温かい心をもった、ひとりの上質な日本人がいたことを思い起こすのです。それが西郷隆盛です。
 西郷の生き方、考え方こそが、日本人が本来持っていた「美しさ」「上質さ」を想起させるのです。

 明治政府における西郷の偉業の一つに、廃藩置県の断行があります。
 戊辰(ぼしん)の役で徳川幕府を倒し、王政復古、版籍奉還(はんせきほうかん)によって、日本は天皇を中心とする立憲民主国家への道を踏み出しました。ただし、軍事や徴税を握る藩の力は依然として強く、幕藩の封建体制から脱しきることができずにいました。

 諸藩は薩長が中心となってできた明治新政府に根強い反感を持ち、また特権と職を失ったかつての武士たちの間には不穏な動きがありました。下手に動けば、日本は再び内戦に突入し、欧米列強の介入を招くことにもなりかねません。

 そうした中、木戸孝允の家に集まって行われた議論は膠着、黙って聞いていた西郷は、ついに口を開きます。
 「議論は尽くされた。反対はあろうが、この改革を断行しなければ日本に未来はない。後に問題が生じたら、自分がすべてを引き受ける」
 その西郷の決意と覚悟の迫力に、その場の誰もが圧倒されます。旧来の枠組みを排する、廃藩置県の勅令が発布されたのは、その数日後でした。

 西郷自身、武士の出身です。その西郷が、自身の手で武士のよりどころである藩という組織、また禄(ろく)を食(は)むという仕組みを壊し、かつての主君や仲間の生活を一変させた。その胸中はいかばかりであったでしょう、おそらく、そこには逡巡(しゅんじゅん)や躊躇(ちゅうちょ)もあったはずです。

 それでも、西郷を突き動かしたものは何だったのでしょうか。
 それは、日本という国を正しい方向に導かなければならないという「大義」であり、その「大義」に基づく「信念」でした。その信念が、西郷に「勇気」を与えたのです。

 とてつもない器量の大きさ、身を処する潔癖さ、何にも増してその徹底した無私の心といった、西郷の人間としての魅力は、時代を超え、私たちに人間としてのあるべき姿を、今も鮮やかに指し示してくれます。

 私は『南洲翁遺訓』を座右に置いて幾度も読み返し、そのつど生きていくうえでの貴重な示唆を得てきました。経験を重ね、人生で年齢を重ねるほどに、得られた教訓はますます私の心に深く刻まれていきました。
 それは、西郷の遺訓が、人生の苦しみや悩みに直面し、それに逃げることなく対処していくなかで生み出され育まれた、まさに人間が正しく生きていこうとするうえでの普遍的な真理、哲学であったからでしょう。

 私たち日本人は、今こそそのような西郷の生き方、哲学、行動をしっかりと記憶に留め、新しい時代を切り開いていくべきではないでしょうか。(要約)

 今日の一言には、「才覚が人並みはずれたものであればあるほど、それを正しい方向に導く羅針盤が必要となります。その指針となるものが、理念や思想であり、また哲学なのです」とあります。

 霧島市にある観光施設「霧島市日当山(ひなたやま)西郷(せご)どん村」の入口近くに、「せごどん像」と呼ばれている、釣り竿と魚籠(びく)を持った西郷隆盛の像があります。
 グラスファイバー製で、竿の先までは6m以上あるでしょうか。かなりデフォルメされた格好で、親しみやすい感じに仕上げられています。

 台座の銘板には、西郷が詠んだ次のような七言絶句が刻まれています。

 蘆花洲外繋軽艘
 手挈魚籃座短矼
 誰識高人別天地
 一竿風月釣秋江   南洲

【読み】
 蘆花(ろか)の洲外(しゅうがい)に 軽艘(けいそう)を繋(つな)ぎ
 手に魚籃(ぎょらん)を挈(さ)げて 短矼(たんこう)に座す
 誰(たれ)か識(し)らむ 高人(こうじん)の別天地 
 一竿(いっかん)の風月 秋江(しゅうこう)に釣る

【大意】
 葦(あし)の茂った川の中洲のほとりに小舟をつなぎ
 手に魚籠を提げて飛び石の上に座る
 清廉な人の心を誰がわかってくれるだろうか
 自然の美しい景色を楽しみながら秋の川で釣りを楽しむ

 この漢詩が詠まれたのは明治4年後半から明治7年前半ではないかとされています。廃藩置県が断行されたのが、明治 4年 7月14日 ( 1871年 8月29日 )ですから、解釈はいろいろあるのかもしれませんが、まさに当時の心境を詠んだものではないでしょうか。

 自分を正しい方向へと導いてくれる羅針盤としての哲学を求め続けることで、私も遅ればせながら、『人生の王道』を歩んでいければと思っています。


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