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『稲盛和夫一日一言』 5月29日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月29日(水)は、「万病に効く薬」です。

ポイント:働くことは、まさに人生の試練や逆境さえも克服することができる「万病に効く薬」のようなもの。誰にも負けない努力を重ね、夢中になって働くことで、運命も大きく開けていく。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、「労働の意義、勤勉の誇りを取り戻そう」として、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 近代以降、とくに戦後において、働くという行為の意義や価値が「唯物的に」とらえられすぎたきらいがあります。働く最大の目的は、物質的豊かさを得ることにあり、したがって仕事とは、自分の時間を提供して報酬を得るための手段であるという考えに、私たちは慣れてしまっています。

 そこからは、労働はお金を得るために行わなければならない苦役だから、なるべく楽をして、多くのお金をもらうのが「合理的」であるという考え方が生まれてきます。このような労働観は日本の社会を広く覆い、例えば教育の現場にも浸透していきました。

 しかし、教育者は成長期の子どもの人格形成に深く関わり、それを指導サポートしていかなければなりません。だからこそ、教職という職種は単なる労働の域を超えたもので、教師の全人格をもって子どもと向き合うことが要求される尊い職業、いわゆる「聖職」であるはずです。

 ところが昨今、先生たちは自らその誇りを捨て、われわれは一介の労働者であり、知識を生徒に伝える作業を行うために自分の時間を切り売りし、その対価として報酬を得ているにすぎないと、自分たちの地位をおとしめ、教職者としてのプライドや真摯さを次第に失ってしまったように思います。

 それでも、まだ高度経済成長期までは、私たちには働くことを厭わない勤勉の精神が残っていました。しかし、日本人は働きすぎだ、もっと遊べと欧米あたりから批判されると、あわてて時短などと称して労働時間を減らし、余暇を増やすことに官民こぞって熱心になりました。

 何か熱心に働くことが罪悪であるかのような風潮がまかり通る時代を経て、今では勤勉の価値はかなり下位に追いやられています。余暇を精神的余裕の母体として考える欧米流の労働スタイルを、私は否定しようとは思いません。しかし、それを無批判に受け入れ、働くことの価値を軽視するような振る舞いは大きな間違いであると思うのです。

 同様に、労働を生活の糧を得るための物質的手段とだけとらえることもまた誤りだと考えています。そこには、心を磨き、人格を練るという精神的な意義も大いに含まれています。
 もともと日本、あるいは東洋には、この労働のもつ精神性、労働を人格形成のための精進の場としてとらえる視点が、確固として存在していました。
 それは、「人間とは遊んでいるときよりも働いているときのほうが幸福であるという、いわば『労働の尊厳』を見い出す」といったものでした。
 

 かつて私たち日本人は、働くことに深い意味と価値を見い出していました。勤勉に努める姿勢が誇りや生き甲斐に通じ、心の豊かさを生んでいくこともよく知悉(ちしつ)しており、そこに人生の意義さえ感じていたのです。

 人は仕事を通じて成長していくものです。自らの心を高め、心を豊かにするために、精いっぱい仕事に打ち込む。それによって、よりいっそう自分の人生を素晴らしいものにしていくことができるのです。(要約)

 今日の一言には、「一生懸命に働くことが、人生を素晴らしいものに導いてくれる」とあります。

 仏教では、魂を磨き、心を高めた末に人が到達する究極の境地を「悟り」といい、その悟りの境地に至るための修行として、「六波羅蜜(ろくはらみつ)」を説いています。

 その一つである「精進」とは、真面目に一生懸命に励み務めることで、まさに「働く」ということです。仕事に打ち込む、一心不乱に働くということを通して、心、魂、人格がつくられていくという意味では、まさに「働くこと=修行」ということもできるでしょう。

 2009年発刊の『働き方』(稲盛和夫著 三笠書房)の中で、名誉会長は次のように説かれています。

 私は、働くことは「万病に効く薬」であり、あらゆる試練を克服し、人生を好転させていくことができる、妙薬だと思っています。

 今、働く意義を理解しないまま仕事に就き、悩み、傷つき、嘆いている方があるかもしれません。そのような方には、「働く」ということは、試練を克服し、運命を好転させてくれる、まさに「万病に効く薬」なのだということを、ぜひ理解していただきたいと思います。(要約)

 大きなプロジェクトを達成した直後や、長年勤務していた会社を退職して急に時間的余裕が生まれたりすると、やる気がなかなか湧いてこない、何をやればいいのかわからないといった、いわゆる燃え尽き症候群のようになってしまった経験をお持ちの方も少なくないでしょう。

 しかし、働くということの意義や効用をもっと広くとらえて、『人生=修行』』と考えれば、次のステップに向けて踏み出そうとする元気のようなものも生まれてくるのではないでしょうか。


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