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『稲盛和夫一日一言』 9月5日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 9月5日(火)は、「倹約を旨とする」です。

ポイント:経営に余裕ができると、ついつい経費に関する感覚が甘くなる。ひとたびそのような甘い感覚が身についてしまうと、なかなか元に戻すことはできない。どのような状態であれ、常に倹約を心がけること。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の中で、「倹約を旨とする」ことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 人の考え方は一生同じではありません。かつては素晴らしい考え方を持っていた。そのため事業もうまくいき、人生も順調だった。けれども、成功して環境が変わるにしたがって、その人の考え方も変わり、次第に堕落して、せっかく成功した事業を失敗させてしまう。そのようなこともあり得るわけです。つまり、考え方は変化するものであり、それにつれて経営状態も変わってくわけです。

 「倹約を旨とする」という考え方は、非常に地味で、大企業の場合などは少しケチくさい感じもします。しかし、この考え方は、売上が大きくなり、世界規模の企業になったとしても、変えてはならないものです。
 そうした企業の根幹となる考え方は、環境によって変わっていくものではないと、私は思っています。

 例えば、ちょっと成功したからといって、いつもホテルで豪勢な食事をとる方がおられますが、そういう人を見聞きするたび、私は疑問に感じてしまいます。
 その人も会社をつくった当初は、おそらく倹約を旨として経営にあたっておられたのだと思いますが、成功し、それだけの贅沢をしても大丈夫だという財政的な裏づけができると、次第に贅沢が身についてくる。人間というのは、そうやってだんだんと考え方が変わっていってしまうものなのです。

 今日うまくいったからといって、明日の保証はありません。事業を存続させていくためには、今日を頑張り、明日も頑張り、エンドレスに際限なく努力を続けていかなければならない。その苦しさを思うと、私も最初の頃は気が遠くなるような思いにかられたものでした。

 しかし経営者は、十年はおろか、二十年も三十年も四十年も会社の繁栄を維持していかなければなりませんから、延々と努力を続けることはもちろんのこと、その間わずかでも慢心することがあってはならないのです。

 中小零細の頃から倹約を旨とし、質素に懸命に頑張ってきたのなら、その後いくら自分がお金持ちになろうとも、いくら会社が立派になろうとも、それを持続していかなければなりません。それは、よほどの克己心がなければできないことなのです。(要約)

 ここでは、「初心を忘れることなく、常に倹約を心がけよう」と説かれています。
 名誉会長ご自身は「貧乏性」で、毎晩豪勢な食事を何十年続けたとしても、名誉会長にとっては何でもないはずなのですが、そうしたことは死んでもできないくらい恐い。それは、お金がないから怖いのではなく、毎晩そんな高価な食事を続けても何とも思わない、そうした神経になるのが怖いのだ、と言われていました。

 また名誉会長は、「カニは自分の甲羅(こうら)に似せて穴を掘る」という言葉もあるように、「企業はトップの器までしか大きくならない」とも説かれています。
 そのトップの器、大きさ、器量がすなわち、人格、人間性です。つまり、経営者の持つ人格、人間性が経営、人生というものを決めていく、ということです。

 「倹約を旨とする」という考え方は、どのような状態であれ、変わらずに持ち続けていかなければならないものであり、「入るを量って、出ずるを制する。利益を追うのではない。利益は後からついてくる」に直結した経営の根幹となる考え方の一つではないでしょうか。


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