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『稲盛和夫一日一言』11/6(日)

こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 11/6(日)は、「物事の本質に立脚する」です。

ポイント:未踏の領域では、原点を見すえ、物事の本質に立脚した判断こそが成功をもたらすと認識すること。

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)の「物事の本質を究める」の項で、稲盛名誉会長は「一つのことを究める」ことの大切さについて、次のように述べられています。

 私たちは一つのことを究めることによって初めて真理や物事の本質を体得することができます。究めるということは、一つのことに精魂込めて打ち込み、その核心となる何かをつかむことです。一つのことを究めた体験は、そのほかのあらゆることに通じます。

 禅宗では日々座禅を組むだけでなく、自分たちで炊事をし、掃除をし、風呂を沸かし、また農作業をして自分たちの食べる分をつくっています。そこでは、あらゆる仕事が座禅と同じく修行とされています。年がら年中、朝から晩まで座禅を組んでいれば悟りがひらけるというものではありません。

 つまり、私たちが仕事に一心に打ち込むことも、また修行であるわけです。雑念妄念を払拭して、ただ目の前の仕事に一生懸命に取り組む。そうすることで次第に物事の本質が分かってくるようになり、やがては悟りへの道をもひらけてくるはずです。
(要約)

 また、原点に立ち返ることの大切さについて、登山の例をあげて次のように述べられています。

 自分では正しい判断をしたと考えているのですが、結果として誤った判断をすることにより、当初の目標から大きく逸脱してしまうことがあるものです。登山に例えれば、霧で道がわからなくなったときに、分岐点ごとに確信が持てないままに間違った判断を下していれば、頂上に到達できずに途中で遭難してしまう恐れがあるわけです。「迷ったら分岐点に戻る」が登山の鉄則であるように、不安に思ったら勇気をもって原点に立ち返り、正しく判断し直すことが大切です。(一部要約)

 経験したことがない、また経験値の少ない新たな領域にチャレンジすると、何度も壁にぶち当たったり、行き詰まったりします。そんなとき、目の前の課題を克服することだけに終始してそれを何とかクリアできたとしても、結果的に目標から大きくズレたところに到達してしまった、といった経験をされた方は少なくないと思います。
 その場その場で最善と判断して打った対策ではあっても、その繰り返しに終始しているだけでは、最終目標を見失ってしまいます。まずいのは、アクションを決めて身体を動かしている間、思考が停止してしまうことです。アクションの途中で立ち止まってもう一度考えるといった時間を持てないため、一通りのアクションが終わった後になって、想定以上の時間が経過してしまっていることに気づいて愕然となります。

 経験値の少ない案件ほど、最終ゴールと原点の両方を見すえて、分岐点ごとに物事の本質に立脚した判断を繰り返す。それが成功への最短ルートとなるのではないでしょうか。


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