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『稲盛和夫一日一言』 4月24日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4月24日(水)は、「シンプルにとらえる」です。

ポイント:物事の本質をとらえるためには、複雑な現象をシンプルにとらえ直すことが必要。事象を単純にすればするほど、本来の姿、すなわち真理に近づいていく。

 1996年発刊の『成功への情熱 ーPASSIONー 』(稲盛和夫著 PHP研究所)「単純化して考える」の項で、複雑なものをシンプルにとらえ直すことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 経営者は、毎日いろいろな問題に直面しますが、自分の耳に入るころには、相当に紛糾した状態になっていることが多いものです。

 それを分析し、解決策を考えなければならないのですが、往々にして、すでにもつれた糸のようになっており、明快な答えを見つけるのはほとんど不可能な状態になっているものです。

 紛糾している状態のままでは問題を解くことはできません。もつれた糸をほどくように、なぜその問題が起こったのかという、原点にまで戻らなければなりません。現状から一歩ずつさかのぼり、発端までたどってみる。そうすると、どういう変遷をたどってここまで紛糾したのかがよくわかります。

 ほとんどの場合、問題が複雑になる以前の状態というのは、驚くほど単純なものです。その単純な状態をベースにして解決を図っていく。
 ほとんどの人は、もつれた状態のまま問題を解こうとしますから、ますますもつれ、紛糾し、複雑怪奇な様相を呈して、最後には訳がわからなくなってしまうのです。

 やさしいことを複雑に考える人が多すぎます。
 経営においても、研究開発においても、たくさんの現象の中から、エッセンスを抽出できる能力が求められるのです。
(要約)

 2001年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅠ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究課編/非売品)「物事をシンプルにとらえる」の項で、心を落ち着けて物事を考えることの大切さについて、名誉会長は次のように説かれています。

 技術者、研究者というものは、実験をし、そこで起こる現象を見つめ、その中から真理をつかみ取っていくものです。

 それが発明、発見につながるわけですが、実験をしていれば、いろいろと複雑な現象が起こります。その複雑な現象を複雑なままにとらえてしまえば、何がなんだかさっぱり分かりません。数学でも、変数が多ければ多いほど複雑になって、解を得にくくなるものです。

 そのような場合、複雑な現象を単純にとらえる。つまり、複雑そうに見えるけれども、その複雑な現象を起こしている源は何かを見ていくことが必要になります。

 エジソンなど有名な技術者や科学者は、そもそも複雑な現象をシンプルにとらえる直観力といいますか、分析能力を持っていたのだと思うのです。そうした能力は、理工系の研究者にはどうしても必要なものですし、私自身も非常に重要視してきました。

 では、物事をシンプルにとらえるにはどうすればいいのか。それにはまず禅定(ぜんじょう)、すなわち心を鎮(しず)めることです。雑駁(ざっぱく)な感覚では、複雑な現象をシンプルにとらえることなどできません。

 ところが、座禅を組んだときのように心を鎮め、落ち着いた眼(まなこ)で物事を見ると、その神髄が見えてきます。「心眼を開く」と言いますが、それは心の眼を開くということなのです。

 私は毎日、白隠(はくいん)禅師の「座禅和讃(ざぜんわさん)」というお経を唱え、心を鎮めるよう心がけています。少なくとも一日一回、心を静かに落ち着けて物事を考えることは、非常に大事なことだと思います。

 会社でも、経済界でも、また政治の世界でも、リーダーとなれる人は皆、物事をシンプルにとらえる才能を先天的に持っている人だと思います。またそうでなければ、リーダーにはなれないと私は考えています。(要約)

 「心眼を開く」には、「心を研ぎ澄まして、物事を深く理解したり判断したりする能力を身につけること。心の耳と心の眼を使って洞察することができるようになること」といった意味があるようです。

 また、『座禅和讃』とは以下のようなものです。現代語訳もなされていますので、興味のある方はぜひご確認ください。

  衆生(しゅじょう)本来仏なり 水と氷の如くにて 
  水を離れて氷なく 衆生の外(ほか)に仏なし
  衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
  譬(たと)へば水の中に居て 渇(かつ)を叫ぶがごときなり
  長者の家の子となりて 貧里(ひんり)に迷ふに異ならず
  六趣輪廻(ろくしゅりんね)の因縁は 己が愚痴(ぐち)の闇路なり
  闇路に闇路を踏みそへて いつか生死(しょうじ)を離るべき
  夫(そ)れ摩訶衍(まかえん)の禅定は 称嘆するに余りあり
  布施や持戒(じかい)の諸波羅蜜(しょはらみつ)念仏 懺悔 修行等
  其の品多き諸善行(しょぜんぎょう) 皆此(こ)のうちに帰するなり
  一座の功を成す人も 積みし無量の罪ほろぶ
  悪趣(あくしゅ)いづくにありぬべき 浄土即ち遠からず
  辱(かたじけな)くも此の法を 一たび耳に触るる時
  讃嘆随喜(さんたんずいき)する人は 福を得ること限りなし
  いわんや自ら廻向(えこう)して 直に自性(じしょう)を証すれば
  自性即ち無性(むしょう)にて すでに戯論(けろん)を離れたり
  因果一如(いんがいちにょ)の門ひらけ 無二無三の道直し
  無相の相を相として 往くも帰るも余所(よそ)ならず
  無念の念を念として 謡(うた)ふも舞ふも法(のり)の声
  三昧無礙(むげ)の空ひろく 四智円明(しちえんみょう)の月さえん
  此の時何をか求むべき 寂滅現前(じゃくめつげんぜん)するゆえに
  当処即ち蓮華国(れんげこく) 此の身即ち仏なり

 日々、目の前で起こるさまざまな現象に対して、スルーやだんまりばかり重ねていては、感覚を研ぎ澄ます絶好の機会をみすみす逃しているようなものです。

 NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる!』の決まり文句「ボーっと生きてんじゃねーよ!」の英訳は「Don’t sleep through life!」。その直訳は「人生を眠ったまま過ごすな!」 
 そうした人生を過ごすことのないよう、気を引き締めて生きていきたいものです。


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