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『稲盛和夫一日一言』 2月11日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 2月11日(日)は、「素直な心 ①」です。

ポイント:「素直な心」は進歩の親。素直な心は私たちの能力を伸ばし、心の向上をうながしてくれる。

 2004年発刊の『生き方』(稲盛和夫著 サンマーク出版)の中で、素直な心を持つことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 感謝の心が幸福の呼び水なら、素直な心は進歩の親であるかもしれません。自分の耳に痛いこともまっすぐな気持ちで聞き、改めるべきは明日といわず、今日からすぐに改める。そんな素直な心が私たちの能力を伸ばし、心の向上を促します。

 この「素直な心」の大切さを説かれたのが、松下幸之助さんでした。
 松下さんは、自分には学問がないからと、いつも他人から教えてもらうことで自分を成長させていこうとする姿勢を、生涯変えられることはありませんでした。
 「経営の神様」といわれてなかば神格化されて以降も、この「生涯一生徒の気持ち」を忘れず貫かれたところに、松下さんの真の偉大さがあると、私は思っています。

 もちろん、その素直さとは、右を向けと言われたらただ右を向くといった従順さのことではありません。
 素直な心とは、自らの至らなさを認め、そこから惜しまず努力する謙虚な姿勢のことです。人の意見をよく聞く大きな耳、自分自身を見つめる真摯な目。それらを身のうちに備えて、絶えず働かせることなのです。

 まだ駆け出しの研究者だったころ、一生懸命実験に打ち込んで、思いどおりの結果が出ると、私はよく「やったあ」と飛び上がって、その喜びを全身で表現していたものです。
 それは、多少軽薄であっても、素直に喜び感謝する気持ち、そうした心のあり方が、地味な研究や地道な仕事を続けていくためのエネルギーになる、という思いがあったからです。そうした思いは、その後も私の人生の指針となっていきました。

 どんなにささやかなことに対しても、うれしいと喜ぶ心、ありがとうという感謝の気持ちを持ち、何事にも理屈抜きに素直な心で接すること。

 日々の反省もまた、素直な心の所産ではないでしょうか。反省は心を磨くために忘れてはならない実践の一つです。なぜなら人間は、いくら謙虚であろうと努めても、つい知ったかぶりをしたり、偉そうに振る舞ってしまうからです。

 驕り、高ぶり、慢心、いたらなさ、過ち、そうした己の間違った言動に気づいたときには、自ら反省の機会を持ち、自分を律する規範のタガを締め直すことが大事です。そのような日々の反省を厭わない人こそ、心を高めていくことができるのです。(要約)

 1989年発刊の『人間としての成功』(松下幸之助著 PHP研究所)の中で、「誰もが素直な心になれる」として、松下幸之助さんは次のように説かれています。

 いちばん大切なことは、お互い人間それぞれにはもともと素直な心になる素地があるということを、はっきりと認識することだと思います。
 つまり特別の修行をした特別の人だけが素直な心になれるというのではなく、素直な心になることを常に心がけ、自分なりに工夫をこらしていくならば、誰もが素直な心になれるということです。
 その意味では、素直な心はお互い人間としての自然の心、本然の心だと思うのです。
(要約)

 「素直な心」とは、偏見などにとらわれず物事の実相を見極めようとする心のことです。ですから、その道を極めていくためには、身近なところ、例えば仕事や生活などの習慣から地道に改めていく必要があります。

 自らの至らないところを素直に認め、そこを底として新たな気持ちで努力を始める。そうした謙虚な姿勢を持ち続けられるかどうかが肝心なのではないでしょうか。                                                  


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